Kさん と Nちゃん  74

・・・・10・・・・20・・・・30・・・・40・・・・50・・・・60・・・・70・・・74(おわり)  「しつけ?」へ戻る




■ 最終回 ■

2000年から続いたこのコーナーも今回で終わりになります。
18年間のメールのやりとりを記録したことになります。
犬を迎えから見送るまでが綴られた貴重な記録だとおもいます。

その間、犬の飼い主として、母として、妻として多忙な中、メールを書き続けてくださった K さんには、心から感謝すると同時に、尊敬の念さえもっております。

「犬を飼うって大変?」、それはお金のこと、時間のこと、色々あるとおもいますが、自分が体験したとき、教科書的な話だけでは処理しきれないことがあるということだけでも理解していただければ嬉しいです。

大事なのは、知識よりも気持ち。知識で乗り切れないことも気持ちで乗り切れることがあります。知識で処理しても釈然としないこともありますが、気持ちをもって乗り切ったことは(少なくとも)自分を納得させることができます。また、気持ちがあれば知識を得ようとします。
そして、家族で乗り切る。誰か一人だけに負担がかかるような解決法は時間が経つに連れて歪が大きくなってゆきます。家族全員が納得した方向性で犬と暮らしてゆくことを目指してほしいのです。

そんなことを感じていただけたらと願っています。

Kさん と Nちゃん  登場人物


18.06.07  梅雨に入ってしまいました    Kさん

いつもお返事お待たせしてすみません。
春と呼べる時期にはお返事しなくてはと思っていたのですが、もう梅雨に入って
しまいましたね。

Nと一緒にお散歩をした景色が少しずつ変わってきています。
土手が舗装されてしまったり、ペットショップが移転したり、庭先にいたワン
ちゃんの姿が見えなくなったり、ワンちゃんのお散歩をしている人は知らない
人ばかり。小型犬が多く、ビーグルを見ることも減りました。


3月はストレスフリーの T、
伊豆への家族旅行とは別に、二人で沖縄旅行に行ってくれました。
「旅行の時いつもはお母さんに任せっきりだから、今回は自分がチケット
の手配とかやるよ」と言ってくれて、私はついていくだけ。
でも、水族館のチケットを買ったのにお金だけ払ってチケットを受け取ら
なかったり(お店の人にホテルまで持ってきてもらいました)、時間を読み
間違えて3か所くらい周る予定が1か所しか行けなかったり。
決してスマートなリードをしてはもらえなかったですけどね。
良い思い出が出来ました。

4月2日からは社会人として勤めに出始めました。
座学での研修、仮配属でのOJT研修、工場研修を経ての本配属だそうです。
今はOJTの段階で、7月下旬から遠く離れた工場での研修が決まりました。
仮配属先では、技術的な書類作成が今の仕事だそうです。
仮配属の部署によって残業があったりなかったりらしいのですが、Tは
残業ありの部署になったらしく、他の同期が定時で帰るのを見て不運だと
嘆いています。


n は、増々我が家に慣れてきています。
一日のうち多くの時間を我が家の周りで過ごしていると思います。
家の中にいる時間が日に日に増え、2か月くらい前から夜のお泊りもする様に
なりました。

リビングの中だけだったのを、仕事場、廊下、玄関、と開放していくと、
恐る恐る探検を始め、2階までも自由に行くようになりました。
夜、リビングで寝ている間に皆2階に上がって寝てしまうと、夜中に私や
Tの部屋まで来て居心地のよさそうな場所を見つけ、寝たりしています。

初めはTの部屋でした。
枕もとまで来て寝ていたそうです。「寝不足!」とか言いながら、嬉しそうな
Tでした。しばらくすると私の部屋にも来て、やはり顔の近くに来て
寝ていました。長い時間ではなく、少しずつ場所を変えて。
最近は、明らかにTを探して2階まで上がってきます。
そしてTがいないと(私だけだと)降りて行ってしまいます。
明らかに、nはTに会いに来ている様です。

朝になると、主人が一番早いのでご飯をねだりにリビングへ一緒に降りている
のではないかと思います。私たちが下りていくと体を丸めて寛いでいたり
もう外へ行ってしまったり。
朝ご飯は一刻でも早く食べたい、、この辺はNの時と同じですね。
そして外に行くのはトイレかな?

> nさん、二日間のお泊りが出来たのですから(慣れさせるには時間が
> かかるとおもいますが)完全室内生活も出来そうですね。

室内飼いはできるのではないかと思っています。
我が家で過ごす時間も、お泊りも、こちらの想像を超えてどんどん適応して
いる様に見えます。

私は野良だった猫を室内飼いにするのは、とても難しい選択だと思っています。
どこで生まれたのか、人間に飼われていたことがあるのか、弓削さんが指摘
してくださるように今現在他の人間との接触はあるのか、我が家だけで暮らす
としたらどれくらいのストレスがかかるのか…
みな、憶測しかできないものばかり。

初めは、「5、6年と言われている野良猫の寿命を少しでも延ばしてあげられ
れば」という思いで関わり始めたのですが、もう野良ではなく我が家の外猫
という感覚です。
暖かくなってきたので、フロントライを使用しました。
健康診断はワクチンを接種して1年後になる夏に連れて行こうと思っています。
ご飯を少なめにしたら、すっとスマートになってきました。

> 私は、猫は犬と違い、家族に順序をつけていないと感じています。順というより
> 役割り付けをしているように感じます。
> この人とはこれをやってもらう・このように付き合う、と考えて、どちらが
> 上だから、とは考えていないと思います。
> 上下言うなら、猫は自分が一番上で、人間は全て下くらいに考えているように
> 感じます。

そうですね、何かの本かサイトでもそのようなことが載っていました。
甘えるのはTと決めているみたいです。皆、下部です。


>> 意識して区切りをつけてはいませんが、時間の経過がそうしているのかも
>> しれませんね。メソメソすることはあまりないです。
>> ただ、さりげなくワンちゃんに近付けないのはなぜでしょうね。
>
> 苦笑したくなるくらい分ります。
> 近づけない理由を考える必要はないとおもいます。
> 考えなくなったとき、きっとさりげなく近づけるのだとおもいます。

これは堪えます。でも、少しうれしいです。
弓削さんもそうなんですか。
涙が出そうです。

> 私も犬派だとおもいます。しかし犬を迎える余裕がありません。
> 「(経済的他の)余裕がない人間はペットを飼ってはいけない」という言葉に
> 抵抗を感じますがはやり、余裕は必要ですよね。
> もし「やはり犬を迎えたい」と考えるのであれば、余裕つくりに努めることが
> いいと思います。

全く同感です。
犬を飼いたい!
でも、独りよがりでは無理ですよね。


> テニスをはじめ、今やっていること、全てやめてみては如何でしょうか。
> そして出来た時間で、今までやったことのないことをやってみる。
> 犬との生活から猫の居る生活に変えるように。
> 猫のように、その時々の判断でやることを決めるとか。

今、私がやりたいことの一番はテニスなんです。
テニスで得られる爽快感が一番の私のエネルギーになっています。
私の年齢や体調を考えると、それがあと何年できるか。時間がない。
この歳になっても、少しの上達や思い通りのショットが打てた一瞬の快感は
かけがえのないものなんです。
Tとも打ち合えたり、アドバイスをしてもらったり。
テニス仲間とのやり取りもとても楽しい。

無理をしているようにも見えると思いますが、、はい、その通り。
周りにも頑張りすぎだなという先輩方を見ますが、その気持ちが今になって
わかってきています。
本当に限界だと分かれば、きっぱりやめられると思います。
ジタバタしながらもやりたいんですよね。
ヨガも、ジム通い(最近は行ってません)もテニスをする体力作りのため。

> 何か趣味のことをやるのではなく、人付合いというか、誰かと遊ぶというか。
> たとえば誰かと旅行をするとしても、何処に行って何をするかを、その
> メンバーから想像して、皆に提案したり。
> お金になったり世の中から評価される仕事ではなく、ご自分がやりたいと
> 思いついたことをやってみるとか。

それも、やっていなくはないんですよ。
友人とのランチは毎月1〜2回はコンスタントに行ってますし、少し遠出をして
小旅行のようになることもしばしば。大体計画を立てるのは私の役割です。
自由に使える時間が増えて、ちょっとですけど行動半径が広がりました。
今まで、時間がかかるということで断ってきた実家の方の友達とも交友が始まり
頻繁にお誘いがかかります。
だいぶ高齢になった母との時間も、大切にしなくてはと思います。
旅行を計画中です。


> 家事は、自分のための部分もありますが、家族のため・お客様のためです
> よね。そういうことをやるのがいいとおもいます。

面倒くさがって丁寧にやらない家事、それは少し反省です。
これからは「毎日の家事だけでも、幸せを感じられる私」歳を考えても分かる
ことなのですが、もう少し我儘に好き勝手して家事も程々に、独りよがりの
中年おばちゃんやってたいです。


>> 今年のおみくじですが、
>> Tは、大吉、動物は「たつ」、言葉が「王者の風格」でした。
>
> 社会人になるこの時に「たつ」「王者の風格」は嬉しいような、違和感あるような。
> 新入りがいきなり王者になったら妬まれそう。T君なら、妬まれないような
> 気遣いができるとおもいますが。

勤めを始めたT、社会人としては本当に未熟です。
前にも書きましたが、他の新入社員よりも残業が多い部署になってしまったと
ブツブツ言ってます。
これから自分の中のルールを変えていかなければならないこと、沢山あるので
しょうね。大学では先輩風吹かせていたんでしょうが、下っ端からの再スタート。
大吉が出たことはもう忘れているでしょうね。

> リスは内気に感じます。写真や絵本でみるリスの行動は自由奔放に見えることも
> ありますが、一年のサイクル、一日のサイクルを忠実に守るイメージがあります。
> 人間にとっても、それは生活の基本として重要なことだと思いますが、ときには、
> それを見直す必要があることもあるでしょう。新しいステージに合った日常を
> 模索してみては如何でしょうか。そのような意味なのではと思いました。

「新しいステージに合った日常」…ですねぇ。
内向的なのは今まで通りですが、さらに内向きの時間が増えている様に思い
ます。
毎朝、今日何するんだっけとベッドの中で考えるのが習慣になりました。
とりあえず、7時半出社のTのために6時半起き。早起きになりました。

時間の余裕が出来て、時間に追われることはほとんどないです。
忠実に守る一日のサイクルもあるようでないようで。
日常の模索、今の自分に合っているかもしれませんね。


> 「最後に書く」と書いた、nさんと K家の皆さんとの関係を、私がどのように
> 感じているかを書いておきます。冒頭にも書いたように私は猫のことは詳しくない
> のでそのつもりで読んでください。
>・・・
>・・・
> でも、今のままでもいいのではないかなとおもいます。更に言えば、この先
> 完全室内飼いの方向に進めるのであれば、ご飯の時間やあげ方が変わって
> くることでしょう。
> nさんは完全室内飼いに対応出来る子だとおもいます。ただし、時間は
> かかると思います。

私とnとの関係は、今のままでいいかなと思っています。
もしかしたら、無意識に私がnをブロックしている可能性もあります。
まだまだ私の中でNの存在が大きい。
Nの仏壇を見てご飯がおいてあるか確かめてから、あればnにご飯を与えています。
私の中でそうしないと気が済まないんです。TもNの仏壇にご飯が供えていないと
不機嫌です。

撫でてあげたりすれば可愛いなとか、慣れてきたねと暖かい気持ちに
なりますが、Tの猫を触らせてもらっているという感覚になるんです。
Tに近づき方とか、触り方とかチェックされているよう。
実際ダメ出しされますし。

完全室内飼いにはいずれするつもりでいます。
Tと、今年の冬にかけてトライしてみようと話し合っているところです。
主人は相変わらず「俺は一切責任は持たないよ」で、私たちの動きを黙って
見ているだけですね。朝、ご飯をあげたのかどうかも伝えてくれないので、
カレンダーに印をつけてとお願いしました。それは一応やってくれています。
歳をとって更に頑なになってしまった印象です。

でも、nのことは可愛いし、かまいたいし、nも慕っているみたいだし
いてくれることを望んでいると思います。Tは「n、いい仕事しているね」
と冷静です。


> まずはお願い。仮ページをつくりましたので確認のお願いします。
> このメールも入っています。
> http://www.inutalk.info/tame/dt/kn/kn71.htm
> http://www.inutalk.info/tame/dt/kn/kn72.htm
> http://www.inutalk.info/tame/dt/kn/kn73.htm

見せていただきました。もう追いついてしまいますね。
アップしていただいて結構です。

> ご相談。
> そろそろ、このメールのやり取りを公開するのを終わりにしたいと思います。
> ・・・
> それ以降は、全くの個人としてお付き合いを続けてゆければとおもいます。
> ちなみに、既に終わっている「MさんとJちゃん」のMさんとは今もお付き合い
> させていただいています。

了解しました。
弓削さんのホームページに載せて頂き、見ていただいた人に少なからず影響を
与えることになるというのは、私の中でいい意味でのプレッシャーにもなって
いました。
私たちの対応に呆れてしまうこともあったでしょうに、いつも冷静にアドバイス
して頂き本当にありがたく思っていました。


Nを迎えた時の事等、
少しずつ書き留めて何とか形になるようにトライしていたのですが、
どうしても長くなってしまい、うまくまとまらず、観念しました。
…ので、あとは弓削さんに委ねます。
添削お願いします。(お願いしなくてもすると思いますが…)


*******

ペットを飼いたいという思いがあったのは私だけだったのかも。
主人は反対はしないけど責任は取らないよ、世話はしないよというスタンス。
Tは、幼児の頃から動物や虫が大好きでしたが、いつも傍にいてほしいと
ねだる程ではなかったです。

Tは赤ちゃんの頃から少し普通の子と違っているかもと感じていました。
それを問題視はしたくなかったので、母である私としてはジタバタしてはいけない
と自分に言い聞かせていました。

1歳半で入った最初の保育園では、お友達と遊ぶことが少なく、保育士さんや
保健婦さんから、根本的に他のお子さんと違う何かがあるかもと、機会がある
たびに、幾つかの言い方で言われていました。
個性の範囲内であると思いたかった私は、転園を決意しました。
幸い次の保育園では、個性の範囲内と受け止めて頂けたようで、お友達との
遊びが少なくても問題視はされませんでした。

それでも毎日の連絡帳には(保育園の)うさぎとのことばかりで、お友達の
名前が出て来る日はほとんどありませんでした。
小学校へ行っても入学当初は一人で学校に行けず、1か月位は私が付き添って
登校していました。
お友達もできましたが、一人か二人、大勢でワイワイというのは苦手な様子。
この子は何があれば、他の子のようにお友達といることが楽しいと思えるよう
になるのだろう、どうしたら少しでもコミュニケーション能力を身に着けられ
るようになるのだろうと悩む日々でした。

本当は兄弟がいれば劇的に変わっていたのかもしれません。最初の保育園で
「次の子はまだ作らない方がいいと思います」と言われ、新米母は2人目を
産むタイミングを逃してしまいました。

でも、Tは動物に対しては全く抵抗なく近付ける子だったんです。
虫が好き、バッタを虫かごに一杯入れて保育園にもっていったり、ダンゴムシ
を手の上でいっぱい這わせて遊んだり。散歩帰りの道の大人しいワンちゃんと
は、毎日楽しそうにたっぷりと触れ合っていました。

お友達苦手、動物OKのTにもう少しコミュニケーション能力を付けて
欲しかった。だから犬を飼えば兄弟代わりにもなるし、情操教育にもなるだろ
うし、自分も楽しめるし…。
それから正直な話、自分のことを言いますと、
「結婚して子供が出来て自由にできる家も手に入れたし、二人目の子供はこれ
からではしんどいから、次は可愛いワンちゃんでも飼えたら、結構順調な人生
なんじゃない?」なんて、自己満足もあったと思います。

子供の頃、犬がいた時期が数年ありましたが、外飼い、世話は親任せでしたから、
能天気なイメージだけで犬との楽しい生活を思い描いていました。
多分外飼い、それで大丈夫。犬種はどこかでもらった犬種のポスターを見て
一番可愛くて大きさも丁度いいと思ったビーグル。スヌーピーのモデル…?
それは良いわ!はい、決まり!

本の1冊も買って、ビーグルの性格とか飼い方とかを知っていたら、多分選ばな
かったと思います。私たち家族とはテンポが違いすぎでしたから。
なぜ、調べもせずに犬を飼うとか、ビーグルを飼うとか外で飼うとか決めつけ
ていたんでしょう。
神様に導かれていたのでしょうかね…、Nちゃん。
神様は、私達家族に足らないものを選んでくれたのかしら。

Tの良き遊び相手になり、コミュニケーション能力を上げてもらい、お友達と
一緒に楽しく遊べるようになり、情操教育になり、心配事がみんな解決。
今まで自分が頑張ってきたご褒美が、可愛いビーグルを飼うということだったんです。

ただ、以前メールでもお伝えしたと思いますが、
昔実家で飼っていた犬(秋田犬)は、親が飼いきれず、父曰く「高級そうな
住宅街で放してきた。きっとお金持ちに家族に飼ってもらえる」と捨ててきて
しまったのです。
自分が犬を飼うときは…、その言葉を思い出しました。
それだけは二度としてはいけない、最期まで責任を持つことだけは当然、改めて
確認するまでもないと思っていました。
犬を飼うってフワフワした気持ちでしたが、捨ててしまった犬への罪滅ぼし
という意識はありました。
犬に限らず、動物を迎え入れるということは、我が子と同じ「命」を預かる
ということです。その認識を持っていた自分には「OK」を出したいと思います。
他は、なぜか浅はかですけど。


犬を飼おうと思っていると実家で話をすると、弟家族の知り合いがブリーダー
の仲介をしているからと紹介されました。
家族ぐるみのお付き合いがあり、ご近所、実は私と中学の時の同級生だった
ことがわかり、それだけでなぜか信頼ができるイメージになってしまいました。 

主人にはもちろん随時報告をしながら話を進めていましたが、私以上に深く
考えていなかった様です。犬種を決める時も「柴犬可愛いよね」とか言って
ましたが、「私がビーグルがいい」と言うと特に反対もせず、「知り合いから
買うと安いみたいよ」というとそれでいいと言うだけ。好きなようにどうぞ、
という感じでした。


話を進めてもらい、Nと初めて会ったのは実家の町内のお祭りの日でした。
その頃はTが小さかったこともあり、お祭りに合わせて家族で実家へ行くのが
毎年夏の恒例になっていました。
実家の玄関でキャリー仕様の段ボールに入れられたNとのご対面でした。
開けると真ん丸のお腹を出して、仰向けで寝ていました。コロコロしていて
可愛かった。
母の部屋に連れていって畳の上におろすといきなりおしっこ。
今考えれば十分に予測はできますよね。
雑巾の用意もなく、みんなでアワアワしながら片づけたのを覚えています。

Nを連れてきた同級生とは何を話したのでしょう…。
「トイレは新聞紙をちぎったのでいい」とか言われたような気がします。
「すぐに外で飼っても大丈夫」と言われました。まだ、生後1か月ですよ。
わからないことがあったらメールで対応ということでその場は終わりました。

犬を飼うということに関する知識、ゼロに近いですね。
この、行き当たりばったり感、今思うとホントにひどいです。

その日の夕方、Nを連れて車で自宅へ帰りました。
帰りの車の中でまだ名前も決まっていないNを抱いているTの写真が
あります。NはTを見上げ、Tも戸惑った様子で見つめています。
Nはとても大人しかったです。
主人は Nが亡くなった後に、Nを連れてくるとき自分はいなかったと記憶
していたようですが、3人で連れてきたんですよね。
主人にとっては印象に残らない出来事だったんでしょうか。

お恥ずかしい話、子犬を迎える準備はいつ始めたのか全く思い出せないです。
大きめの段ボールに新聞をちぎって入れて、いずれは外飼いをするつもり
でしたので、サークルもキャリーもなく。極端な話、ハムスターを飼うときと
同じような感覚だったと思います。

フードを買いに行ったお店の方に、「3か月までは家の中ですよ」と言われ、
えっという感じで慌てて家の中で飼うのに必要なものをそろえ始めました。


その後、どうにも持て余してしまって弓削さんに色々教えを乞うことになった
のですが…。
「手がかかる子ほど可愛い」って言いますよね。
Nもしかり、Tもしかりです。

今でも思ってますよ、Tを育てるときも他のお母さん方は余裕をもって
育てている。Nの時も、他の飼い主さんは私のようにあたふた迷ったり
しないでどんと構えている…。
私は子育てヘタだなあ。ワンちゃんのお世話もヘタだったなあ。
でも、手をかけたから可愛いのかなぁ。
NもTも私の想像以上に良い子に育ってくれました。


シニアと呼ばれる歳になってから急にいろいろな病気が出てきました。
獣医さんに「この子は腫瘍体質だね」と言われたこともありましたね。
脂肪の塊が何度もできて、悪性の腫瘍も何度もできました。
顔面麻痺なんていうのもありましたね。15年間で何と色々な不調を抱えた
ことか。

ただ、基礎体力のようなものはしっかりしていて、食欲もかなりある子だった
ので、病気さえなければかなり長生きできたのではないかと思います。

後ろ脚が全く動けなくなってしまっても、お散歩に連れて行けば前脚だけで
一生懸命前へ前へと進んでいくし、家では主人お手製の補助具に乗っておやつ
のある所まで一生懸命近づいたり。食欲と体力、それがNの命を永らえるのに
大きく影響していたと思います。

最後に病院を変えたことは、Nとの最期の日を迎えるにあたって本当に良かった
思っています。
Nがベッドから落ちて脱臼してしまったのは、本当に可哀そうでそんなこと
あってはならないことだったのですが、そのおかげで病院を変え素晴らしい
先生方に出会うことが出来ました。

預けていただけで脱臼を N自身で治してしまいましたね。
腫瘍に関して治療の余地があったことを知りました。
それまで飲み続けていた心臓病のお薬を減らしてもらったり、気にかかっていた
他の症状に関してはっきりと答えていただいたこと。
金銭的な面でもだいぶ負担が軽くなりました。

病院内でも大きなワンちゃんを飼っていて、先生が本当に好きなんですね。
そういえば、医院長先生は迷彩柄の診察衣を着て、超大型犬が好きなんだ
そうです。Nの法要をしてもらったお寺にはその病院の動物のための大きな
お墓がありました。

日によって担当の先生が変わることもあるのですが、他の先生も同じでNの体に
沢山触れて爪を切ったり、耳掃除をしたりしながらの診察です。
説明もとても分かりやすく、毎回ほっと安心して帰れていました。
今思うと、これもNが私たちのためにやってくれたことのような気が…。
そう、病院を変えたことで私たちの中で「これを続けていけばいいんだ」と
心が落ち着けた気がします


自力では歩けなくなってしまってからは、毎日家の前の土手へ抱っこでお散歩に
行っていました。
その頃、犬用のベビーカーを買おうかとても迷っていたのですが、今となっては
買わなくて良かったと思います。

土手までNを抱いて上り、数十メートル歩き、草がふかふかしたところを探して
抱っこしたまましばらく座っていました。
ベビーカーに乗せていたら、お互いの体温を感じる時間が減っていました。
重くて、私の腰も辛かったけど土手の草の上に腰掛けるとほっとして、
Nにも草の感触を感じさせたりしてとてもいい時間でした。

旅立つ前日のお散歩は、今でも思い出すことができます。
この様子では今日は連れ出せないかなと半分あきらめていたのですが、
落ち着いた様子を見せたので、「今なら行ける」と強く感じました。
連れ出せたのがとてもうれしくて、「お散歩に出られてよかったね」って何度も
Nに話しかけたのを覚えています。
もう暗くなっていたので腰掛けて川の向こうの街明かりを眺めていました。
Nの体は暖かく、やわらかく、何か反応してくれるわけではないんですけど
私に体を預け、穏やかでいてくれていると感じていました。

私への最期のプレゼントはそのお散歩たったのではと思います。
Tへは、旅立ちの日をTの誕生日を選んだ事。
亡くなる前日、最後の夜は主人のベッドで寝てましたから、主人へのプレゼントは
それかな。主人もやり切ったって思えているでしょう。


学生の頃は部活や勉強頑張った、社会に出てからは仕事を頑張った、Tが
生まれてからは子育てを頑張った。
それと同じ位置で、Nのために迷走したり的外れにでも頑張った一時期が
私の人生をより豊かなものにしてくれたと感じています。
Nがいたから弓削さんにも出会えたし、沢山の事を教えていただき、沢山の
気づきがありました。

Tも遅かったですけど社会人になり、私を頼ってくるものはいなくなりました。
nさんはTが管理してくれるところが多いので、エネルギーを使う必要はありません。
これからは自分に何かしてあげたいなって思っています。

去年猫の飼育頭数が犬の数を超えたそうですね。
私たちもその流れに乗ってしまいました。

7月下旬から3か月、Tは遠方の工場へ行ってしまいます。
たった3か月なんですけど、どうしよう、、不安です。
いつの間にか親子の関係が逆転してしまいましたね。

長々となってしまいました。力不足で申し訳ありません。
まとめようにも大変だと思いますが、よろしくお願いします。

では。




18.08.30    弓削

Kさん、こんにちは。
約束どおり、今回を最後にしたいとおもいます。

今回いただいたメールには、個人的かつ具体的なことが多々含まれますが
出来るだけそれらを引用せずに、一般的な話として返事を書き、終わりに
したいとおもいます。

これから犬を迎えようと考えている人、犬を亡くして違和感を抱きながら
日々を送っている人、そんな方々のお役にたてれば幸いです。



私も、うーにーが逝ってしまってから、町の景色がどんどん変わってゆくと
感じました。緑道が舗装し直されたり、道が広がり日差しが強い時間が
増えたり。「犬と暮らすのに良かったのは、うーにーが居た頃が最後で、
今のこの辺りは大型犬には辛いだろうな」と思っています。
もし、うーにーが帰ってきても「ここ、何処?」と思うくらいに景色は
変わってしまいました。

でも、あるとき気がつきました。うーにーが居なくなってから、自分が
出歩く頻度が減り、急に変わったように感じているだけだと。
確かに大型犬には辛い環境になりました。日陰と土の地面が減りました。
しかし、その変化が速くなってはいないことを理解するまで長い時間必要
でした。

私も「犬の散歩を見かけることが少なくなったな」と思っていたら
雨が続いた後に出歩いてみたら「犬と暮らしている人、結構いるんだな」と
思ったり。

日常的に散歩に行かなくなると、町のことが分からなくなりますね。
そして町の変化が早く感じられるようです。



T君、着実に成長しているようで私も嬉しいです。
感謝の気持ちを形にするのは、簡単なようで難しいというか気恥ずかしいと
いうか。その年頃の男性は特にではないでしょうか。とにかく簡単なことでは
ないはずです。
そういうことをしっかり行える人間に向かっているなと感じます。

今(もう8月末ですね)時点でしっかり社会人なんですよね。早いものです。

ときどき「もし自分に子供がいたら」と考えることもありますが、やはり、
考えられないです。実感湧きません。想像できることは「人間の子育ては、
犬とは違う苦労がいっぱいあるのだろうな」、その程度です。

タイミングがずれてしまいましたが、T君の卒業、そして就職、おめでとう
ございます。そしてKさんとご主人は、ここまでとても大変だっとおもいます。
心から「お疲れ様でした」と申し上げたいです。



今のところ、家に入ってくることもある野良猫のnさん。こちらも、着実に
家猫に向けて成長中という感じですね。
ご家族三人との付き合い方を決めたようで、これからが楽しみです(私だけが
楽しませていただくことになり、読者の方々ゴメンナサイ)。

一つ気になったことは、朝一番に外に出てゆくのは「トイレかな」と書いていますが、
家の中にトイレはあるんですよね?(手術をしたとおもった後、2日ほど家の中で
過ごしてもらったときにトイレを使っていましたよね?。今回が最終回なので
質問しても仕方ありませんが、このことは個人的に教えてください。)
犬が外でのトイレが当たり前になると、出来ることなら家の中でしたがらない
のと同じなのかなと思ったりしました(私は猫のことはよく分からないので)。

夏には健康診断のために病院に連れて行こうとお考えのようですが、その時の
ことも個人的に聞かせてください。
おばまは今も病院に連れて行くと、失禁や脱糞をすることがあります。
nさんはいい子だなとおもうばかりです。


外を自由に出歩く成猫を、一気に家猫にするべきだと考える人もいるようですが、
私が知る限り、それは一般的には難しいと思います。
外に出ている時間がある限り、病気の感染はじめ、様々なリスクはありますが
無理なく完全室内飼いに移行できればいいのではと思っています。


おばまは、未だに自分が決めた限られた場所と、部屋の中で女房に着いてまわる
くらいしか動きません。イレギュラーな行動として、美味しいものをもらいに
台所に来るくらい。これも恐る恐るという感じです。(台所へは少しずつ
来るように仕向けました。)

まいすは、家の中をよく探検していました。多くの猫はそうなのでしょうね。
おばまは特別だとおもいますが、nさんのことを読んでいて、羨ましいような
懐かしいような、そんな気持ちになりました。


nさんが完全室内飼いになる前に、もう少し旅行に行っておくといいかも
しれませんね。
シッターさんを探すのも良いかとおもいます。猫は犬と違って散歩の必要が
ありませんので、ご飯を置いて水を取り替えてもらうのと、トイレを綺麗に
してもらえればいいので、犬よりは頼み易いだろうなとおもっています。



私も今、犬と暮らしたい気持ちはあります。何故しないのか、その理由は
色々ありますが、今の自分の状況で、どのような犬を迎えるのがベストなのか、
答えを決めることが出来ません。うーにーとの生活が素敵過ぎたので、それを
基準に考えると答えが出せません。

現実的な理由は二つあって、おばまのストレスと経済的なことです。もしそれらが
なかったら、上記のようなことで悩むことでしょう。

でも、犬も猫も「縁」なんだとおもいます。K家にNちゃんがやってきたように。
我が家にうーにーやまいす、おばまがやってきたように。(私は無神論者ですが)
神様のお導きのようなものだとおもっています。
もし大型犬を迎えることがあったら、それはきっとうーにーが姿を変えて
やって来てくれるのだと信じていたいです。



肋骨にヒビが入るほどのヨガやストレッチも大好きなテニスをやるためだったのですね。
大好きなこと、一生懸命になれること、楽しめること、人生の宝物ですよね。
年々年を重ねる体と向き合いながら、これからも楽しんでいってください。


私も離れて暮らす母がおりますが、付き合いの按配と言えばいいでしょうか、
どれくらいのことをどれくらいの頻度でするのがいいのか悩むことがあります。
贅沢な悩みかもしれませんが、高齢だけど自活できている親との関係って難しいですね。


今は「我儘に好き勝手して家事も程々に、独りよがりの中年おばちゃん」を
やっていても良い時期なのかもしれませんね。
この先、何が起こるか分かりませんが、大好きなテニスをする暇もないくらいの
日々がやってくるかもしれませんから。



「おみくじ」のこと。

T君、大吉、動物は「たつ」、言葉が「王者の風格」。
今まで先輩風を吹かしていたのが新入社員になったとしても、たぶん、それを
受け入れられるのだとおもいます。動物と上手く付き合える人間とはそういうもの
です。(「動物と上手く付き合える人間」と「動物の世話が上手く出来る人間」は
違います。)
気持ちの中で不満があっても抑えるべき時には抑えられるし、周囲の人の立場の
ことも理解できる人間に育っているとおもっています。
もちろん、人間ですから心の中ではネガティブな感情が湧くこともあるとおもい
ますが、それを飲み込むだけの人間になっているとおもいます。
それが「王者の風格」なのではないでしょうか。

リスのKさん。
「新しいステージに合った日常」は見えてみたでしょうか。そういうものは
敢えて探すものではないとおもいます。取り敢えず、全て捨ててゼロにするくらいの
気持ちで身の回りを見渡し、必要と思われることも「本当に必要?」と疑うくらいに
すると(「新しいステージ」ではないかもしれませんが)本当の自分が見えてくる
のではないでしょうか。
目の前のこと一つ一つに真剣に対応し続け、忙しく動き回っているリスですが、
周りからは「毎日同じことしているんでしょ?」とおもわれてしまう。
実は最大限のパフォーマンスを出していて、その結果が毎日に同じようになって
いるのかも。
今のKさんは、そんなリスに似ているのかも。



nさんとの関係は、今のような感じで過ごせばいいとおもいます。
猫の方から定めた関係が最もしっくりくるのではないでしょうか。
Nちゃんとの関係も、そのままでいいとおもいます。
人間と、犬や猫との関係を「このような関係が望ましい」という人がいますが
「そう思わない」から、または「そうしたいけど出来ない」からしないのであり、
出来るのであれば、皆が既にやっているはずです。
でも、心からそうしたいと思えることであれば、自分の考えも変えてみようと
おもうものです。その昔、「このままではいけない」とおもい、超多忙な中、私と
メールのやり取りをしていたときのように。

誰かが言っていることよりも、自分がどうで、家族(猫や犬を含む)がどうであるかを
見極める努力が必要で、それを基にどのような生活がより良い生活か模索するべきと
私は考えますが、それは今の人たちにとっては時間的な負担が大きすぎるようです。
「今の状態に満足できないから答えをください」という感じの飼い主に対して、
「こんな犬ならこう」「猫ならこう」というパターンに嵌め込む「コントロール」が
現在の主流のようですね。
私は「お互いを見極めた上での、より良い生活の模索」こそ、人にとって、犬や猫に
とって必要なものであり、他のことを犠牲にする価値のあることだと感じています。


ご主人、T君、Kさん、そこにやってきたnさんの関係は、お互いがお互いを
理解し合い、それぞれの関係を築いてゆけるとおもいます。
その過程で何かしらのギャップが生まれたときは、たぶんKさんが対応することに
なると思いますが、現在のK家なら人間三人で上手く分担できるとおもいます。

「無意識に私が nをブロックしている可能性もあります」ということを負い目の
ように感じているのかもしれませんが、猫側は気にしないと思います。今ある現状の
中で自分が居心地のいい状況を上手に探すだけだとおもいます。
Nちゃんへの気持ちは、たぶん、nさんも何気なく分かっているとおもいます。
nさんを含めた皆が、K家の「今」を理解しているとおもいます。

でも私は、Kさんが「少しブロックした方が家族全体が上手くゆく」と感じていて
無意識に今のような行動になっているのではないかとおもっています。


考え方は色々ですが「これが理想だから直さなきゃ!」と完全に決めてしまう必要は
ないと、私は思うし、細かいことを言えば(失礼なことを書いてしまいますが)
考えを改めるのが簡単な年齢でもないとおもいます(Kさんの年齢を存じませんが)。
私も色々なことが出来なくなってきました。頭も心も体も固くなってきました。
そこを無理することはないとおもいます。


最近の nさんはどうで、これからどうなってゆくのか(今回が最終回なので)
読んでいる皆さんには分からないことですが、私は問題なく完全室内飼いになって
くれると予想しています。



仮ページの確認ありがとうございます。
少しづつアップしてゆきます。

そして今回の分の仮ページの確認をお願いします。
このメールの分も含まれています。
http://www.inutalk.info/tame/dt/kn/kn74.htm



Nちゃんを迎えたときのことを読んで、驚き、戸惑い、涙がこみ上げてきました。
Kさんは、家族の中で自分が果たすべき役割、つまり母親という重責を果たす
ため日々尽力され、その過程で Nちゃんを迎えたことを知りました。
ここまで書いてくださり、ありがとうございます。

読んでいると、子供がいない私にも Kさんの悩みの重さを想像することが
ある程度は出来たとおもいます。色々な意味で重要なことが含まれる内容なので、
全てを公開してはならないことは理解できますが、どこまで公開していいものか
悩みました。今回ばかりは(上記仮ページを読めば分かるとおもいますが)
修正箇所が多いです。よ〜く確認してください。よろしくお願いします。

この部分のことについては何も書きません。Nちゃん亡き今、何も書く必要は
ないとおもいます。


書いてくださったことに、ただただ感謝です。
このようなことを心の中に秘めている人は多いとおもいます。わざわざ他人に話す
ことでもありませんから。しかし、このページを読み、口にしたり書いたりして
くれる人が増えることを祈っています。
そのようなことがない限り、ほとんど知識がなく犬を迎え、日々、負担が大きいと
感じながら犬と暮らし続ける人が減ることはないでしょう。

現在は、少しずつ犬と暮らす苦労のことが知られるようになり始め、犬よりも
猫の飼育頭数が増えましたが、私は、まだまだ理解が足りずに犬を迎えている人が
少なくないと感じています。
「理解」とは、犬との暮らしにはある程度の勉強が(迎えるときには間に合わなく
ても)必要であり、勉強した結果大きな負担が必要になることは珍しくないことを
理解することです。人間のお子さんにも同様のことがあるとおもいます。
そして、それを克服した先にある幸せについても知る人が増えてほしいです。

そのような人が増えたとき、ヨーロッパの何処かの国のように、この日本が、
犬と一緒に何処へでも行ける国になるのだと信じています。



Kさん、長い長い間、お付き合いいただき、ありがとうございました。




Nちゃんを迎えた時のことは、迎えるまでのことは、今回初めて知りました。
初めて読んだとき、驚き、おもわず涙しました。
ここまで書いてくださり、そして、公開を了承してくださったことに感謝しています。

今までは、Kさんもお話する気持ちになれなかったのだとおもいます。お話してくださる
ようになるには、Nちゃんの一生と2年以上の月日が必要でした。

この日本には、似たような迎え方をした人がいっぱいいるとおもいます。
問題が起これば、「勉強が足りない」「努力が足りない」と批判されます。
このメールのやり取りが、そのようなことでお悩みの方の助けになれれば幸いです。


18年以上にわたり続いたこの連載もこれで終わりですが、Kさんからの最後の
メールが全てだとおもいます。しかし、最後のメールを読んだだけでは、一冊の本、
一本の映画を観るのと同程度になってしまうことでしょう。
この連載の価値は、子犬のときから高齢で亡くなるまでの記録があることです。
最期のときのことは記憶に残ります。しかしそれは一時のこと。
それまでのことがあり、最期の時があるのです。

忙しい中、書いているメールなので(特にはじめの方は)読み難い箇所が多々
ありますが、今悩んでいる飼い主さんに一通り読んでいただければ、「こんな考え方も
あるんだ」「こんな対応で、どうにかなったんだ」と思える材料もあることでしょう。



Nちゃんを迎えた経緯を読んで、やはり「いい犬」だったのだとおもいました。
ある程度のブリーダーさんからの犬は、身体が丈夫だし、人間と上手くやれる子が
多いです。Nちゃんはそういう子だったとおもいます。


読んでいる人の中には、「こんなブリーダー、とんでもない!」と感じた方も
いらっしゃるとおもいますが、ブリーダーはじめ、犬に関わる仕事をしている人たちは、
(当たり前のことですが)現実世界で犬に、お客さんに、接します。
日本に於ける、犬や猫に対する意識は上がってきていると思いますが、全体を見たとき
まだまだと思わざるを得ません(Nちゃんを迎えた2000年の頃なら尚更)。
そのような世の中であることを前提に、お客さんと接しなければならないのが現実です。



Kさんのように、その時は「軽い気持ちで迎えたのではない」のだけど、後から考え直して
みれば「軽い」としか言い様がない状態だったと(他人には言えませんが)感じる人が多いと
おもいます。


犬という生き物のこと、しつけのこと、日本というこの国で犬がどのように見られているか
など、犬と暮らすために学ぶべきことは多々あります。また、時間的経済的に余裕が
あるかも検討しなければなりません。
それら全てを考え準備してから犬を迎えようとしたら、いつまで経っても迎えられません。
なので犬と暮らし始めてから悩み迷うことがあるのは当然で、ときには他人から後ろ指を
さされるような状況に追い込まれることにもなるでしょう。

そのようなときは「気持ち」で乗り切るしかないのです。それは親子関係やその他の
人間関係も同じです。自分が「こうするのが善いだろう」とおもっても、相手はそう思って
くれなかったり、自分の考えが未熟だったり時代遅れだったり。気持ちから湧き出る
行動で試行錯誤してゆくしかないのです。

大事なのは「気持ち」と「実行」。それが自分勝手な間違いにならないためには
「コミュニケーション」。他人の「気持ち」を確認できる能力。

今の時代「コミュニケーション」はとても大事だとおもいます。それを教えてくれるのが
犬との生活だとおもいます。犬を可愛がる「ペット」としての付き合いだけではなく
日々コミュニケーションをとる「コンパニオンアニマル」として付き合うことで、
コミュニケーション能力が自然とついてゆくことでしょう。


犬の健康もしつけも、犬の気持ちが察することが出来なければ、押し付けであり、
犬が健康を害することもあるでしょう。
一般論に嵌め込むのではなく、その犬が、自分の家庭がどうであるかをよく考えた上で、
方向性を決め、日々を暮らしていただければと願っています。


私の経験から書かせていただければ、そのようなことを考えるときに最も力になって
くれるのは、先輩飼い主の助言です。犬のことも家庭環境のことも理解してくださる
飼い主さんです。
皆さんが、そのような人に巡り会えることを心から願っています。



いつの日か、
犬を迎えた時の自分がどれだけ足りなかったかを他人に話せるようになる時、
それは犬との暮らしでどれだけ成長できたかを自覚できる時、
その時が来る人が一人でも多くなることを心から願っています。


そのような人が増えたとき、今在る身近な動物に関わる問題も解決されてゆく
だろうし、人間関係に起因する問題も改善されてゆくと期待しています。




似たようなことを書いたような気がして探したら、ありました。
「MさんとJちゃん」のJちゃんが亡くなったときに書いた、こちらです。

機会があれば、「愛される犬」 について改めて書きたいとおもいますが、一つだけ
書いておきます。
「愛される」対象になるためには、コミュニケーションがとれていなければなりません。
そのような犬が増えることを願っています。

誰からも愛される犬が増え、犬は愛される存在であることが当たり前である
世の中になってほしいと心から願っています。

そうなったとき、
災害時に避難所に同伴することは当然のことになるでしょう。
犬と一緒に行動できる施設や交通機関も増えることでしょう。
飼い主さんが手放すことになってもすぐに次の飼い主さんが見つかることでしょう。
身近な動物に酷いことをする人に対する社会の目も厳しいものになるでしょう。
その頃にはきっと小学校の教育で、これらに関することが盛り込まれていることでしょう。

そんな世の中になることを、長年夢見ています。



   
※ プライバシー保護のため、固有名詞、地名等を表示させないことを目的に
      文章を変更した箇所がございます。



最後にもう一度、書かせてください。

Nちゃんを含めたK家の皆さん、ありがとうございます。


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<後日談>
nさんの家猫計画は、2018年の12月の上旬、Nちゃんの命日から行われたそうです。
計画開始から約一ヶ月半くらいの時点で上記内容の確認メールをいただいたのですが、そのメールの中に経過報告がありました。予想外のスピードで室内飼い猫に向かっているとのこと。

トイレの失敗は計画を始めた二日目に一回だけ。爪とぎ以外の場所で爪をとぐこともこともなく、数日で、「外に出して〜!」と騒ぐこともほとんどなくなったとか。
開始約一ヶ月で完全に家猫になってくれたみたいです。

Nちゃんの仏壇には、いつもフードが供えられているそうですが、以前、nさんがそれを取ろうとしたことがあったとのことですが、それを一度叱っただけで(人間が居なくても)二度としなくなったとか。今では、仏壇に供えられたフードをさげたときに、それをもらっているそうです。
いい意味での予想外ばかりでした。


それから更に一ヶ月以上経った三月の中旬時点で、外への興味は全くなくなったみたいです。
その代り(?)、仏壇のフードを泥棒猫したり、その他、食べ物については気が抜けなくなったそうです。また、イヤホンにじゃれついてきたり、ご飯を持って行ったら足元にパンチしてきたり。
全然の登らなかったキャットタワーも、場所を変えてフードで誘導したらよく登るようになったり。

外暮らしが長いとおもいますので、一頭だけで、これだけの期間で室内での生活に慣れてくれたことも予想外でした。

一番の予想外は、ご主人に最も懐いていること。ご主人の猫という感じになっているとか。
KさんやT君は、少々不満もあるようですが、K家として安定したものになっているようです。


改めて、「犬や猫が居る家族っていいな」とおもいました。



大事なことは「知識」ではなく「気持ち」。「気持ち」があれば「知識」はついてきます。
「良い子」よりも「馴染んだ子」。その家に「馴染んだ子」になることが出来れば、その家の「良い子」になってゆきます。
気持ちが通じ合い、その家の家族らしい犬や猫。そのような関係がいいのではないでしょうか。


K家のように犬や猫としっかり向き合えて、気持ちが通じ合える家族として犬や猫を迎えることが出来る人が、この日本にも増えることを祈っています。
 

おしまい