一月末の夜の駒沢公園(3)
2002.02 uni より
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ドッグランの柵があるものの片面ガントレット状態を抜けた私たちは、
そのまま真っ直ぐ進み、数メートルの薄暗い下り坂の茂みを過ぎると、
明るい周回通路にでる。
そこは、ジョギングやスケートのコースにもなっている。
人気の少ない夜でしたが、ジョギングをしている男性が目に入った。
うーにーは、何か落ち着かない様子。そんなこともあり、私たちは、
その人が通り過ぎるのを待った。彼が近付いてくると、その後ろに黒い
大型犬が見えた。その犬は、彼とはほとんど離れず走っている。きっと
リードが着いているんだろう、器用なことが出来るものだ、と思った。
うーにーは人間の私がその犬に気付くずっと前から「どうぞお先にお通り
下さい」と意思表示をしていたのだと、その時気が付いた。
その犬は、私たちの近くを通るとき、うーにーをチラリと見、鼻を少し
動かし、そして何事もなかったように、私たちの目の前を、彼と一つに
なったまま通っていった。そこには、リードは無かった。
しかし、その犬がジョギング中の飼い主の速度と同じ速度で走り、飼い主から
離れることは全くなかった。
私は心の中で思った。「どうみても誰にも迷惑かけそうもないな」と。
そう思ったと同時に女房が「ああいうノーリードまで、とやかく言わなく
ても思うんだけどね」と口にした。それを聞いたとき、私の口から出た
言葉は「僕もそう思う。だけど、あれでも怖い人は怖いだろうね」。
犬が怖い人が怖がり続ける原因はなんなのでしょうか。
犬を連れて歩いている人間は、その原因の幾つかを和らげることが出来ると
思います。日々、そんなことを考えながら生活する人が増えることを願って
やみません。
ノーリードを考える
生理的に犬を受けられない人がいます。そのような人たちの数は、無視できる程度ではありません。
彼らにとって、ノーリードにしているだけでも嫌がらせにさえ感じるかもしれません。
犬が嫌いな人ではなくても、犬と暮らしている私でさえ、ノーリードの犬がやって来れば、(初対面なら)どんな性格か解らないし、(日常的にノーリードにしているということは、不特定多数の犬と触れ合っている可能性があるわけですから)病気を持っている可能性も否めません。
その他、色々理由はありますが、そのような犬が来れば面倒であっても、自分が連れている犬には近づけないように努めます。(つまり、そのような犬が近付いて来ることは、私にとって迷惑です。)
ノーリードを考えるということは、犬に付いて充分に勉強する
ことであり、犬に関係ない人と犬との関係について勉強し、考え、そして実践し、またそこから勉強することのはずです。
日本の「犬との暮らし」の文化は、まだまだこれからです。
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