ノーリードを考える
生理的に犬を受けられない人がいます。そのような人たちの数は、無視できる程度ではありません。
彼らにとって、ノーリードにしているだけでも嫌がらせにさえ感じるかもしれません。
犬が嫌いな人ではなくても、犬と暮らしている私でさえ、ノーリードの犬がやって来れば、(初対面なら)どんな性格か解らないし、(日常的にノーリードにしているということは、不特定多数の犬と触れ合っている可能性があるわけですから)病気を持っている可能性も否めません。
その他、色々理由はありますが、そのような犬が来れば面倒であっても、自分が連れている犬には近づけないように努めます。(つまり、そのような犬が近付いて来ることは、私にとって迷惑です。)
ノーリードを考えるということは、犬に付いて充分に勉強する
ことであり、犬に関係ない人と犬との関係について勉強し、考え、そして実践し、またそこから勉強することのはずです。
日本の「犬との暮らし」の文化は、まだまだこれからです。
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