■ 2022年4月26日
2015年のイベントのために作ったこのサイトですが、その当時すでに病院通いが始まっていました。その後はただただ闘病生活。それは2022年4月26日の午前10時前に終わりました。


2015年のイベント時、おばまのパネルを見入ってくださるカップルの方がいらっしゃいました。その方たちに「爪は引っ掻くのではなく刺してくるし、甘噛みどころかしっかり噛み締めて振り回される」と話しすると「うちにもいました。もう死んでしまいまいたが」と時間をかけて話しをしてくださいました。
私は「ずっと、同じような感じでしたか?」とお聴きすると「何年かして大怪我することはなくなりました」と話してくださったので「何年くらいですか?」と更にお聴きしたら、少し考えて「8年くらいでした」と答えてくださいました。

おばまは、2014年我が家に来てから8年弱居たことになります。
最後の1〜2年は、人間に爪を刺したり噛み締めて振り回すようなことはなくなりました。その猫さんに比べれば、私たちに慣れてくれた方なのかもしれません。



我が家にやってきて、約一ヵ月後から病院通いが始まり「もうこんな家に居るのはイヤになるのでは」と心配しましたが、女房にだんだん懐いていきました。
しかし(前回書きましたが)「野良猫タイム」と「飼い猫タイム」がありました。人間をとても警戒する時間もあれば、出てきて女房が近寄っていっても逃げずに撫でることも出来る時間も増えていきました。

そして、野良猫タイムはどんどん少なくなりましたが、病院に連れていくと、その後、2〜3日クローゼットや押入れに籠ることがありました。籠らなくても、何かのタイミングで素早く入ってしまうこともありました。

連れて行かれるのがイヤなんだなと思っていましたが、検査などで病院へ行くことが続くと、明らかに体調を崩していたことが分かってきました。検査をしなければ治療方針も決められず、葛藤したものです。


闘病生活の諸々のことを、少し詳しく振り返ろうかとも考えたのですが、私自身辛くなるし、それを行なったことで、得れるものは何だろうと考えてやめました。

振り返ろうかと考えた時に、頭に浮かんだこと、ちょっと調べたこと、考えたことをこちらのページに書き綴ってみました。
このページの頭に「2022年4月〜9月」と書かれているように、約半年、日々考えていました。それがペットロス症候群というものなのでしょうか。

いくら考えても、おばまが元気になって戻ってくることはないし、当分は犬も猫も迎えられそうにありませんので、次に繋げることも出来そうにありません。
なので、考えないように努めることにしました。そうするしか、ありませんでした。



おばまの最期に付いて考えることは辛いことなので、努めて考えないようにしますが、おばまとの時間を完全に忘れてしまうのも辛いことです。

では何を思い出してみようかと考えた時、おばまが来たことに付いて考えてみました。

おばまとの暮らしの中で、おばまの死後、おばまを迎える頃に知り合った方々に支えていただきました。それら素敵な出会いは、おばまが経験させてくれたものです。

また、時々、おばまが暮らしていた夜ノ森駅のことを考えます。
駅は東日本大震災当日から使われてなくなりました。おばまはあの日から約一年半生き抜き、2012年9月22日に駅前で捕獲されまた。

その後も夜ノ森駅は使われることはなく、東日本大震災から約10年後、復興オリンピックと呼ばれた東京オリンピックでリニューアルされ(おばまが捕獲された当時の)駅前の面影はなくなりましたが、ホームから見えるツツジの斜面は地元の方々の尽力により、復活したようです。
おばまが見ていた風景を見ることは、もう出来ませんが、いつか夜ノ森駅に行ってみたいと思っています。



もう一つ、考えること。
大規模災害時の身近な動物の避難に付いて。

東日本大震災の時、人間は身近な動物たちを置き去りにして避難することが当たり前の時代でした。それが常識であり、連れて避難することは非常識とされていました。

東日本大震災後、置き去りになった動物の問題はあまりにも大きく、未だに解決されていないこともあります。なので、国は同行避難(動物たちも共に避難所へ行く行動)を推奨していくようになりました。
それから更に数年が経ち、現実を確認していった結果、(同行避難を推奨することには変わりはないのですが)「自宅が安全であれば、自宅で避難することが彼らのためにもいいだろう」「または公の避難所以外の避難場所を各自考えておくといいかも(飼い主と動物が別になることもある)」との考えが主流になりつつあり、今は、避難所に一緒に行くべきか、(自宅を含む)各自が考えた避難場所で避難させるかを飼い主が検討することを提案しています。


また、保護猫という言葉や地域猫活動に付いても広く知られるようになりつつあります。外を自由に出歩く猫の数は(少なくとも私が暮らしてる地域では)減ってきました。


もし、今の状況で東日本大震災のようなことが起こったら、おばまは我が家に来ただろうか。
復興オリンピックで新しくなった駅に猫が居つくことはあるだろうか。

その仮定で考えれば、たぶん、おばまは存在しない。もし駅に猫が居付いていたとしても大規模災害より前から管理され、災害直後に保護され、東日本大震災後の混乱のようなことは起こらないでしょう。


私がおばまと出会ったような物語は、
もう生まれないかもしれません。
それでいいのです。
私は貴重な体験をさせてもらったのです。
あの時代とおばまに。



今はただ、

ありがとう、おばま

と、伝えて終りにすることに努めます。
それでいいのです。

それがいいのです。

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