■ 東京にやってきた
2014年7月12日、おばまを引き取る。女房も一緒。

前日は三春近くの宿に泊まり、10時頃から説明を受けることになった。
女房は生オバマくんを見るのも初めて。さらに、一般的な引き取りの手続きと違うのは、当日、テレビの取材が入った。私たちもちょっとテレビに出ることになった。
幾つか書類を交わしたり、連絡事項を聞いたり。私は何度か通い、話を聞いていたので、最終確認という感じ。
このときに「どんな名前をつけますか?」と聞かれたので「平仮名にしますが、おばまのままで」と答えた。このときから、我が家の猫、おばまになりました。


午前11時頃三春シェルターを出る。見送ってくださったスタッフの方々の態度から、オバマくんがどれだけ愛されていたかよくわかった。

帰路、一度だけパーキングエリアに寄る。
三春シェルターの人には、「家に着くまで絶対にキャリーを開けないでください」ときつく注意されていたが、ここで車のドアをしっかり閉め、その中でちょっと開けた。おばまは、キャリーの隅に体を押し付けるようにして縮こまっていた。そしてとても可愛い声で「にゃ〜」と鳴いた。
この声が、とてもストレスがかかった状態で、かつ怒っている時の声だと知るまでに二ヶ月くらいかかった。


東京の我が家には、午後二時半頃着いた。おばまは、夜までキャリーの奥に貼り付いたまま。キャリーを縁側にあるクローゼットにに移動したら、やっと出てきたが、それから約一日飲まず食わずだった。

我が家では、犬猫に関わる最終判断は女房がすると決まっている。その女房が「今度の猫は、基本的に獣医に連れていかない」と宣言していた。それは前年の暮に亡くなった猫への医療行為や介護の経験からだと思う。
だが、その決意はすぐに揺らぎはじめることになる。

我が家に来て一ヶ月くらいは、クローゼットに引き籠り、家庭内野良猫状態だったが、スタッフからこうなるだろうと聞いていた。時間が経てば出てくるだろうことも聞いていたが、ハラハラしながら籠ったおばまを見つめる日々でした。
しかし、ある日の朝、激しく嘔吐。女房の決意は何処へやら。当然、病院へ行くことに。
安易に捕まえようとすれば、こちらが怪我することは分かっていたので、安全策を考えての捕獲作業。籠ったおばまを引っ張り出したものの逃げられ、仏壇の裏に隠れたので仏壇を移動してまでの大捕り物。おばまにとって恐ろしい事件だったことでしょう。

病院では、血液検査、レントゲンなどを行い、異常が見つかり治療開始。これはじきに治るのですが、またすぐに異常が見つかり病気と診断される。ストレスが影響する病気です。病院に連れて行ったり、入院させたりしたことがかえってよくなかったのかも。
シェルター内での引っ越し時にも体調を崩したとのこと。おばまは、環境の変化に弱いのだと思います。
病院に行った後に体調を崩す様子は、見ているだけで胸が痛くなりました。いろいろと治療して良かったことは、繰り返し出ていた大量の目やにがなくなったことでしょうか。

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