■ 2022年4月~9月
2022年4月26日、おばまの闘病生活は終わり、重たい体と別れることができました。

その後、葬儀を済ませ、そして私たち夫婦は片付けをした。片付けをしながら、おばまの闘病生活について、「もっと他のやり方があったのではないか」と何度も考えた。


ふと昔の資料を見ていたら、2014年8月17日付けの血液検査の結果が出てきました。初めて病院に連れて行ったときのもの。

以下、当時の検査結果に書かれた表記で書きます。カッコ書きは当時の猫の正常範囲(2022年になって検査結果をTwitterにアップしています)。
血球計算の内、RBC, Hb, PCV が正常値よりスレスレ高い。
血液生化学検査では、TP が気持ち高い程度ですが、GLU が 306(71-148)、GPT が553(22-84)、 GOT が170(18-51)、TG は 153(17-104)。

こんな結果から、糖尿病対応の日々に向かっていきました。
この時のことはブログのここから書かれていますが、やはり随分と身体にダメージがあったのではないかと(今になって)想像しています。ブログの続きの8月28日のトイレの前のトイレ事件も。

その後、家の中の探索もなくなり、部屋から出なくなっていきました。それはこの部屋の中だけで満足に思ってくれていたと長い間、考えていましたが、今から振り返ると、あっという間に体調を崩したのではないかと想像しています。

その後も糖尿病対応で通院は続きましたが、それ以外にも、猫なのに肛門腺の破裂を繰返しました。何度も肛門の近くに多いな穴が開く度、とても痛々しかったことを憶えています。

その他にも色々と病気をしました。
病院嫌いだし、糖尿病なので一般的治療ができないこともあり簡単に治せなかったり。

それでも2018年頃までは、よく病院通いをして体調を崩す猫くらいに感じていましたが、その頃から少しずつ弱ってきて、2020年からは明らかに最後の階段に向かうのを(今からおもえば)感じます。

2020年4月に突然ガス屋がおばま部屋に入ることになり、長時間滞在しました。これがおばまにとって大きなダメージになり、ここからどんどん体調を崩してゆきました。
2021年の角膜潰瘍はおばまにとって大きな負担だったと思います。飼い主も日々ハラハラしていました。
2022年に入った頃には、体重もどんどん減ってきて、踵に禿も出来ました。そして二月に入り、超低血糖発作。血糖値のコントロールは難しくなり、インスリンを打つと一時的に急降下し、100を切り、40を切ることもありました。一時的な超低血糖の後は超高血糖(500以上)に戻る日々で、見るからに体調は辛そうでした。
2022年1月8日のブログがこちらで、この後のことは「猫 おばま」カテゴリーの目次を見ていただければ、おばまの最期と私の葛藤が綴られています。

勿論、糖尿病とセットの膵炎もありました。他にもあったような気がしますが、もうほじくり返すようなことはやめようと思います。


最期については、「何故、安楽死を検討してあげなかったんだ」と思うこともありますが、当時は全く考えませんでした。最期の認識がありませんでした。
それだけ闘病生活(医療行為)漬けになり、それが日常になり、その日常の中でおばまは死んでゆきました。ぷっつり途切れるように。

最期だけは、病気のことを忘れるような時間を作ってあげたかった。そうでなければ苦しむ時間を長引かせたくなかった。



おばまの闘病生活は、本人の意志で行われたものではなく、飼い主である私たち夫婦が行なったことです。その闘病生活(医療行為)がおばまの苦痛をどれだけ軽減出来て、逆にどれだけ苦痛を与えてしまったかを考えようとすると、その二つを天秤に掛ける前に、頭の中が「ごめんなさい」でいっぱいになり、思考停止になってしまいます。

完全に思考停止になってくれれば、それで終りになるのですが、ふとまたグルグルと考えてしまう。そんな日々です。
なので努めて考えない・忘れることにしました。



私は多くの飼い主さんと話しをしてきましたし、これからもしてゆきたいとおもいます。
それら話しの中には、「同感出来ない」「自分はそのように(理屈では分っても)感じたことがない」と思うことが幾つかあります。その中の一つに、「共に暮らした動物が逝った後、その子のことをどうしても考えてしまうので、その子の物を全てを捨てました」というもの。

なんとなく理解は出来ますが「全て」という単語が引っかかっていました。そこまで徹底しなくても、と。
しかし、おばまが残してくれた経験で分かりました。「全ての物」を捨てたとしても、「有り余るほどの想い」が心の中に残り続けている。


おばまとの暮らしは、今まで共に暮らした犬や猫とは違いました。それは死後も。いや、特に死後に於いて。


一つ勉強させてもらったような気持ちです。
日々、おばまに「ありがとう」と心の中で伝えることに努めます。

いつの日か「ごめんなさい」よりも「ありがとう」の数が多くなれる日がくることを願って。

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