3月14日(月)

朝、とにかく荷造り。終わったら、斜め向かいのPN君のところへ。
しかし、いくら呼んでも出てこない。彼は田植えの仕事を手伝い始めたが、田植機が故障で直るまで休みと聞いていたが、直って仕事に行ったのだろうか。とにかく次だ。近い順に行って久野さんの所へ。「うちで良かったらどうぞ」と快く引き受けてくれた。私も「ありがとう」と答えた。
が、しかしOS君の広い家が頭の中から離れない。「ありがとう」と答えてそのまま僕はOS君の家へと向かった。
丁度彼が居たので「NSさんの所、追い出されちゃって。帰るまで、金曜日まで、泊めてもらえないかなー」とお願いすると「金曜日までならいいですよ」と彼も快く引き受けてくれた。さて、今度は引っ越しである。

久野さんにOS君の所にお世話になることを報告して、トラックを借り、引っ越しをしようと思ったのだが、ユキさんちに戻るともうだれも居ない(月曜日はお店はお休み)。途方に暮れて洗い物をしていると、NSさんの車が帰っていくのが見えた。NSさんがいる時に荷物を運び出して、軽く挨拶をしようと思っていた。今がチャンスだがトラックがない。そういえば、OS君の家からここに向かう途中でそれらしいトラックが港の方へ行くのが見えた。違うかも知れないがとりあえず港へと行ってみることにした。

港へ着くと、久野さんのトラックがあった。久野さん、ユキさん、MZ君の3人もいた。3人は与那国丸の見送りに来ていたのだ。その帰りに予定通り、久野さんのトラックでNSさんの家へ行き、荷物を運びだし、軽い挨拶をしてNSさんと別れた。約一ヶ月半の付き合いだったが、思い返せばもっと長かったような気もする。

トラックでOS君の家へ直行し、荷物を下ろした。この時は下ろしただけ。そしてお昼ご飯を食べて、午後は久野さんの確定申告の手伝いをして、夕方7時過ぎからはバトミントン。今日はダブルスでの大会だ。結果は全12組のうち6位。先月の時に比べたら上出来だった。
その後は再び、確定申告の手伝い。終わったのは1時を過ぎていた。OS君の家へと帰り、この日記を書いたら、2時半になっていた。東京にいても沖縄にいても夜更かしの性格は直らないらしい。