3月10日(その3)
久部良バリに戻ると、丁度久野さんのトラックがきた。一緒に大学生を連れていた。ピン太に草を食べさせながら周りで、皆で話をしていると、ピン太が大学生の一人を蹴った。蹴った、と言っても大した力でもなく本気ではない。両後ろ足を揃えてチョコンと後ろに出した、と言った感じの動作だ。
久野さんが「与那国馬が実際に人を蹴った話を聞いたことも見たこともない」と言っていたので驚いた。久野さんも驚いていた。そこで久野さんは「原因を考えよう」と言いだし皆であれやこれやと話を進めた。結論として「蹴られた大学生が着ているウインドブレーカーのカサカサ音が嫌いなのと、最近繋牧していたところが草が少なくイライラしていた。」と言うことになった。そして草の多い所に繋ぎ変えることにした。
この後、鞍作りをして晩御飯となった。そして、久野さんに誘われるがままにバトミントンへ。そして帰ってきてからまた鞍作りを再開。そしたら丁度その頃、NSさん(畑の主)がユキさんちに来て、ビールを5本注文してNSさん、久野さん、僕の3人で飲んだ。たぶんNSさんは畑が終わった打ち上げのつもりなのであろう。(言葉のわからない僕には推測するしかない。)久野さんはNSさんに宮古島のこと(久野さんは宮古馬のことを調べたくて宮古島へ行きたいと思っているがオトーリと言う習慣があり久野さんの宮古島行きの難問になっている。)、広場に造ろうと思っている小屋のこと(NSさんは久部良原の畑の前に農作業用の小屋を自分で作った。)など色々聞いている。こんな世間話のようなことを一時間くらい話してNSさんは帰った。
バトミントンから帰ってきた時、すでに「一つのカレーの二人」(51.旅の人、島の人参照。過激とも思えるナチュラリスト・カップル)と修行の人の3人がいた。NSさんが帰った後久野さんを捕まえて、久野さんの広場に対する気持ちについて問い詰めていた。完全に槍玉状態だった。しかしそれだけ(少なくともこの3人が)久野さんに求めるものがあることはわかった。僕も久野さんが広場に対して、突っ走れば今年の8月には移住してるかも知れない。しかし、彼の頭の中には、馬があり、蝶があり、コウノトリがあり、、、大変である。ここ何日間か一緒にいて「彼の頭の中に広場に対する気持ちがあるけど体が一つしかないので、頭の中で思うようには進められない」と言うジレンマがあるのがよくわかる。それを槍玉にあげられては可哀想に思えた。きっと3人にとって彼はヒーローに見えるのだろう。彼らのイメージ通りのマークンであって欲しいのだろう。彼らの久野さんに対する気持ちは激しいものがあった。
この日、僕がユキさんちを出たのは午前二時過ぎだった。

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