2月6日(その4)

まずは寝っ転がって一休みだ。少しして落ちついてきた頭で周りで何が起こっているのか確認してみると、残り少ないお菓子で泡盛を飲んでいた。午前中に僕がお菓子をほとんど食べてしまったので、おやつは泡盛だ。もしかしたら、いつもそうなのかも知れない。泡盛は水で割るのだが、その水は東京では灯油などを入れるポリ容器に入れている。ほとんど食べる物が無くなったので、僕にも泡盛を勧めた。「少しだけ」と言う気持ちで口にしたが、すでに血圧は上がりきっているし、気温は27℃ぐらいときている。動かなくても頭が回り始めた。これはいけないと思った頃には次を勧められた。冗談で「ガソリン、ガソリン」と言って、泡盛の水割りを2、3杯飲んだ。ああ、このまま寝てしまいたい。

しかし無情にも時は正確に刻まれ、休み時間は終わった。そして、最後のラウンドである。いつも以上に体調は悪い。アルコールと相性の悪い僕の体としては当たり前のことだ。(注射をするときの消毒用アルコールを着けただけで、体が赤くなる。)しかし、不思議なことに「もうだめ、やめてしまえ」とか「たおれるー」とかは思わない。思考回路も本格的に壊れてしまったのか。そして恐ろしいことに、苦しいながら体は動くが、動きを止めると息が苦しい。いや、息が出来ない、と言った方が正しいだろう。もともと慢性気管支炎のような人間で寒いところで激しい運動をすると、息がヒューヒューと音を立て、まるで息を吸っている実感が無くなってしまう体質である。そんな体質とこの島の季候、キビ狩り、泡盛、が重なって、恐ろしい時間を体験した。とにかく動き続けなければ、苦しくなるのだ。雑草が邪魔で「この野郎」と思って手を休めると、グワッと大きな手で体を捕まれるような感じがした。これが泡盛の洗礼なのだろうか。
もうやけくそである。空で燦々と僕を照らしていた太陽は僕の中にある。僕は燃えていた。それは星飛馬のようにでは無かった。悲しき僧侶の焼身自殺のようであった。今ある行動の実感の向こうには、確かに灰になったの自分を感じとっていた。これが泡盛というガソリンを使った沖縄エンジンなのだろうか。毎日これをやっていればきっと体は強くなる。島の人の強さの秘訣はここにあるのか。