2月2日(その1)

朝起きたら、もう7時40分だ。「急がなくては」とアタフタしていると、NSさんが「今日は畑は休みでMNの手伝いだ。8時になってから出ればいい。」と言われ落ちつきを取り戻した。

8時を過ぎ現場である中学校へ行くと、MNさんはまだ来ていなかった。MNさんを待っていると現場に居合わせた若い人が「あんたよく働くんだってな」で始まり、「波照間、、、波照間、、、ナイチャー、、、友達、、、、」と話しかけてきた。この時僕が聞き取れたのは「波照間」と「ナイチャー」と「友達」だけであとは何を言っているか解らなかった。一緒にいたNSさんがその人としゃべり始めた。「僕もキビが終われば、重機の仕事があるけどそれが終われば行けるよ。飯場もあるのか。僕も行けるよ。」としきりに話し始めた。
後になって色々と人の話をつなぎ合わせて、考え直してみると、MNさんがキビ狩りを一緒にやった時のことを皆に「よく働く奴」と言ってくれたらしい。それで「波照間で道路工事があるのでやらないか。飯場もあるので飯の心配はない。君はナイチャーでしょ。君がやらなくても友達を紹介してくれないか。」と誘いを受けたようだ。

なぜナイチャーにこだわるか不思議に思ったが、後で久野さんに聞くと「島に居着くナイチャーは仕事が真面目な奴が多い。島の人間はテイゲーだから。」と説明してくれた。テイゲーの島の人間より真面目なナイチャーを求めているようだ。
この辺りの島々ではナイチャーもしっかり社会の一員になっている。確かにそんな人を何人か現場の中で見た。しかし、真面目なナイチャーも東京感覚で言えば「流れ者」と言ったところだろうか。島の人は「旅の人」と言う言葉を使う。

僕はこの種の人間ではないのだ、と心の中でつぶやいた。今考えれば、この時すでに与那国移住を諦めていたのかも知れない。