1月20日
ともかく、私は出発しなければならない。朝一番の便である。この日、美奈子は会社に遅刻する届けを出して、見送りに来てくれた。私がゲートに入る前にお別れのキスをすると、うっすらと涙を浮べた。
しかし、朝起きてからこの時まで、ほとんどチェロの話ばかりで暗い雰囲気だった。美奈子は「本当のことを言わなければ気が済まない」と言張る反面、「言いづらい」と悩む。私は「先約の人を傷つけないような嘘をつけば良いじゃないの。」と言ったところで、「嘘はつきたくない」と突っ張り通す。
以前、このチェロは美奈子の従姉妹にあげようかと言う話があった。そこで「あの記事を見て従姉妹が欲しいと言い出した」と言うのはどうか、と提案もした。しかし、美奈子の意志は強く「嘘はつかない」つもりでいるらしい。
与那国島には飛行場があり飛行機で行けるのだが、那覇と石垣で乗り換えなけれなならない。
那覇に着いた時、ちょうどお昼時だったので、美奈子の職場に電話するのはやめた。昼食で外室していると思ったからだ。そして、石垣に着いた時に電話を入れた。その時美奈子の方は手が放せないらしく、「今ちょっと話していられないんだけど、話したい事があるから与那国に着いたら電話して。」と言って電話を切った。
そして、与那国に着いて久野さんへの挨拶もそこそこに電話へと走った。きっと「先約の人がゴネてどうにもならない。」とでも言うのだろうが、日本の最果ての地にいる私にはどうすることも出来ない。
電話が繋がると、電話の向こうの美奈子は困惑したような、動揺したような声であった。予想通りか、と思ったのもつかの間、「やっぱり、従姉妹が...と嘘をついてしまって心が痛い。」と訴えてきた。美奈子には悪いが、これから2ヶ月ぐらい見知らぬ地で過ごす私にはどうでも良いことである。色々と訴えてくる美奈子の言葉に相槌を着きながらも、頭の中では「俺はそれどころではないんだ。これから、気候も風習も違うこの地で何カ月か暮らすのだ。頑張らなくては。」と、どんより曇った空を見ながら考えていた。
しかし、そんな格好の良いことばかり言えたものではない。羽田からここまでの道中、飛行機の中で座り続けていたので、2ヶ月前に手術したお尻(手術とは「痔」である)が痛んだ。「この島でお尻が痛んでも我慢するしかないだろう。」と、情けないことを考えたものである。また、「座りっぱなしになることはないだろう」と楽観的に考えたり、「沖縄とは言え、冬の屋外の力仕事だから、、」と心配になったりもした。
美奈子への電話を切り、この電話機から離れた時、私の与那国への旅は始まった。そんな気がした。

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