Kさん と Nちゃん  69

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■ 大きな節目 ■

ついに、Nちゃんは逝ってしまいます。
しかし、K家から完全に居なくなることはないでしょう。
家族全員の心の中に、Nちゃんは居るはずです。

しつけ相談ですから、これで終わりになるはずですが、
もう少しお付き合いください。

Kさん と Nちゃん  登場人物


15.12.05  N が息を引き取りました。      Kさん

弓削さんこんばんは。
こんな状況になるまでご報告できずにすみません。

4日11時10分、N が息を引き取りました。

2日、病院に行きお薬を頂いてきたばかりだったのですが、2日の夜から
様態が悪くなり、翌3日も病院へ連れていきました。

そして今日、吐くような動きをしたので抱き上げると何回かゲホゲホ言って
ぐったりしてしまいました。
少し痙攣するような動きをしたのでまだ何とかなるかと、N の名前を
呼んだりさすったりしたのですが、もうその時は息も心臓も止まってい
たようです。

今日は T の誕生日。
私も主人も家にいました。
T は卒業旅行のためのパスポートを取る手続きをするために、出かけて
いましたが、主人が呼び出すために電話をしたときは家のすぐ近くまで
帰って来たところでした。

3人が揃うことはここの所ほとんどなく、また、T は学校、バイト、
テニスとほとんど毎日出かけていました。
そんな中、T はたまたまこの週末に予定が何もなく。

皆が揃っているときに私の腕の中で逝ってくれたこと、今日は T の
誕生日だったこと、N のための時間を皆が取れる時に逝ってくれたこと。
苦しんだ様子を私たちに見せていたのはたったの2日間だけだったこと。
窓から陽がたくさん入ってくる晴れた日の午前中だったこと。


N はどこまで私たちのためを思ってくれるのでしょう。

N の最期、パーフェクトだね。
家族皆で話しました。
T は、また N から何かをもらったようです。N がなくなったのは
とても悲しいことなんですが、この日を選んでくれたことがとても嬉しい
ようです。


お花を買ってきて、ご飯とおやつ、首輪、おもちゃを飾り、お線香をあげ
ています。
おばあちゃんの作った白いパッチワークの上に N を寝かせました。
毛布を掛けて、まだ眠っているようです。
最近、ほとんど寝てばかりだったので、いつもと変わらない日のような気
がします。

今夜は N がいるリビングで一緒に寝ると、T はフットワークも軽く
布団を私の分と二組持ってきてくれました。

明日、おばあちゃんが高崎から来てくれます。
明後日、火葬をします。
N のために皆で送ってきます。


こんなになるまで何も連絡できなくて申し訳ありませんでした。

これまでのこと、落ち着きましたらまたメールさせていただきます。

まずはご報告まで。




12月6日 Nちゃんに会いたくて、K家にお邪魔しました。
生前のNちゃんに会ったのは一回だけ。それだけでは寂しくて。

横たわる Nちゃんの顔はどこか満足そうでした。
疲れの表情もありましたが、頑張ったよ、やることやったよ、と
私には見えました。

お疲れさま





15.12.07  昨日はありがとうございました。      弓削

弓削さん、こんばんは。



昨日はどうもありがとうございました。

突然の弓削さんの訪問に本当にびっくりしました。

早々に帰ってしまいましたが、それも弓削さんのやさしさと思慮深さなん

ですよね。やっぱり弓削さんってすごい人。

T もすぐにわかったよと言っていました。



近所の小さなお友達とか、その親御さんとかいましたし、母が午前中に来た

ばかりで、なんだかバタバタしてしまいました。

すみませんでした。





昨夜は人間の慣習で言うとお通夜ですが、おばあちゃんに「お通夜の夜は

お線香を絶やさずに一晩中起きているんだよ」と聞くと、T がその役を買って

くれました。

私は一昨日もほとんど眠れなかったので、T に任せて、12時過ぎに寝ました。

T 一人、パソコンにタイマーをセットしてお線香が燃え尽きる前に気が付くように

していたみたいです。



T は N と2人きりで一晩過ごしたわけです。

私が起きているうちに一緒に N に手紙を書き、私が寝てからは N と Tだけの

部屋で色々なことを考えたみたいです。

N のお腹に耳を当てて、元気な時にそうやってお腹の音を聞くのが好きだったとか、

それまで少し違和感とか怖さがあって触ってあげなかったけど触ってみたら

もっと早くに触ってあげればよかったと思ったとか。

少しだけ話してくれました。





小さくなって帰って来た N はなんだか実感がわきませんでしたが、祭壇を

作り直し、T が写真を飾ってくれたら、N と話ができるスペースになりました。





ちょっとした瞬間に急に涙があふれます。

大丈夫なわけないですよね。

今は体を壊した N の姿ばかり頭に浮かびますが、少しずつ元気な頃の N の

姿が出てきています。



人間のお別れの儀式を真似て供養をしてみましたが、これは残された私たちの

ためにやっているんだなと感じました。



体をきれいにして、祭壇を作るために走り回りセットし、N のことを知って

ほしい人を思い出し知らせ、来て頂いた人とお話をし、家族で思い出話をし…。

一つ一つ、進めるたびに N との別れを少しずつ受け入れていく。



火葬場ではしんどいだろうなと憂鬱でしたが、担当してくださった方が心のこもった

対応をしてくださって、骨を拾うということも涙だけの作業にはならず、だからと言って

軽い作業にもならず。

N との別れを受け入れるためのとても意味のある工程であると感じました。

N の、しっぽと前脚の骨がとてもかわいかったです。





病院への連絡。

N が天国へ一緒に持っていってもらうものを用意。

N のためにやれることを、と頑張ってましたが、結局自分が納得したいからやって

いるのかな、なんて思いました。





夕飯のあと、T と数日前まで散歩に行っていた土手まで行き、N との晩年の

散歩の思い出を聞いてもらいました。





闘病中の様子は、整理がついたらまたお知らせしたいと思います。



本当に遠いところを、お忙しいところをありがとうございました。

弓削さんのような方に会えて、私も N も家族皆、幸運だったと思っています。
 
 





15.12.08   土曜日は失礼しました       弓削



K さん、こんばんは。

土曜日は突然、お邪魔して失礼いたしました。
N ちゃんとは、随分前に一度、お庭で会っただけですが、
お骨になる前に、もう一度会いたくて、ご都合も聞かずに
失礼しました。

実は、毎年お参りしているお墓が八王子にあるのですが、
今年は機会を逸していました。N ちゃんのお陰で今年も
義理を果たすことができました。


よく「親が死んだ時より辛かった」と言う人がいます。
親とは血が繋がっていますが、別の人間ですよね。
犬は、人間の家族がいなければ生きていけないし、人間の方も
犬がいる毎日が日常で、それは時間とか物理的なものだけでは
なく心もそうなんだと思います。つまり、自分の一部なんだと
思います。
犬を失うことは、自分の心の一部を失うことなんだと思います。

だから、弔いが自己満足であってもいいというより、そうある
べきなのではと考えています。なので、人それぞれでいいのでは
ないでしょうか。


お会いしたときに、しっかりと段階を踏んでお別れが出来た
というようなことを仰っていましたが、そこまでやって
いただけて私は嬉しいです。

今は無理だと思いますが、いつか、その日々のことも書いて
いただければと思います。

その前に書いていただきたいことがあります。これもすぐには
無理かと思います。気持ちが落ち着いたらお願いします。
2000年の夏、N ちゃんを迎えるに至った過程を書いて欲しいの
です。はじめは外で飼おうと思ったようですが、どのような
イメージで迎えることを思いつき、家族でどのような話し合いが
行われ、どのようなところで譲っていただいたか。

最近、既にある映画やドラマの続編ではなく、その前のストーリー
が作られることがあるとか。それと似ているかもしれません(笑)


もう師走。そして、T 君のこと、仕事のこと、その他色々あると
思います。また、今まで遠出できなかったでしょうからご実家に
行ったりと、とにかく忙しい日々になると思います。


気持ちが落ち着き、昔を思い出す余裕ができましたら、家に迎える
までのこと。そして、お別れのまでの日々のこと、書いていただけ
たらと思います。


K 家のような家族が、少しでも増えることを願っています。






15.12.09   不思議な気持ちです       Kさん

こんにちは。

N が逝ってから1週間が経とうとしています。
とても不思議な気持ちです。

毎日涙に暮れてしまうだろうと思っていたのですが、少し違っていて
この状態が何なのかわからずにいました。
悲しいのはもちろんで、ちょっとしたことで涙が出るのですが、それよりも
いつも私は N を探しているような気がするのです。
そして、生前の N を思い出しては「もういないんだなぁ」と確認
しているような。

そして、いないことを確認すると N に触りたくなり、それはでき
なくなってしまったのだと思うのです。
そして胸が詰まってきます。

お骨の前に座り、N の写真に語り掛けます。
可愛いねとか、いい子だったねとか、やっぱり美人だわとか話していると
ずーっとそうしていたくなります。
苦しいけれど、少し気持ち良かったりします。泣きながらのこともありますけど。


> 犬は、人間の家族がいなければ生きていけないし、人間の方も
> 犬がいる毎日が日常で、それは時間とか物理的なものだけでは
> なく心もそうなんだと思います。つまり、自分の一部なんだと
> 思います。
> 犬を失うことは、自分の心の一部を失うことなんだと思います。

弓削さんのこの文章がとてもしっくりきました。
私の中の一部分がなくなってしまったんですね。
でも、まだなくなったことになれていないというか、理解できていない。

今でも仕事が終わると、急いで帰らなければという気持ちになります。
買い物はいつなら行けるかしらと自然に考えてしまいます。
もう家に誰もいなくても、いつ買い物に行っても何の不都合もないのに。

夜10時近いから、だらだらしていないで台所へ立たなければとか。
( N を寝かせるのが10時頃で、痛み止めを飲ませる時間でした)
お風呂に入るにも、リビングに誰かいる時でないと…とか

毎日の私の行動は N と常に繋がっていたんですね。


> 2000年の夏、N ちゃんを迎えるに至った過程を書いて欲しいの
> です。はじめは外で飼おうと思ったようですが、どのような
> イメージで迎えることを思いつき、家族でどのような話し合いが
> 行われ、どのようなところで譲っていただいたか。

15年も前のことですね。
火葬を終えて帰って来た夜に、主人が N を迎えた時のことを話し
始めたのですが、全くの記憶違いで私と T とで顔を見合わせてし
まいました。
それは後でお知らせしましょう、、、。

>
> もう師走。そして、T 君のこと、仕事のこと、その他色々あると
> 思います。また、今まで遠出できなかったでしょうからご実家に
> 行ったりと、とにかく忙しい日々になると思います。

忙しくしていたいです。
暇になると怖いです。


> 気持ちが落ち着き、昔を思い出す余裕ができましたら、家に迎える
> までのこと。そして、お別れのまでの日々のこと、書いていただけ
> たらと思います。

承知しました。
今は、自分の思考がちょっとおかしくなっている気がするので、少し
時間をおいてからのほうがいいような気がします。
でも、忘れちゃったらヤダな。

N との生活をすべて振り返り、すべてもう一度思い出したいと思っています。
そんなの無理ですけどね。


> K 家のような家族が、少しでも増えることを願っています。

我が家は大したことなかったです。N が凄かった。
私たちを導いてくれていました。今ではそれをとても強く感じます。
みんな、世話が焼けるなぁって思いながら、色々なタイミングを選び
導いていってくれたように思います。


12月26日に葬儀式というのがあります。
合同の告別式のようなものですかね。
少し山を上ったところにあるとてもいいお寺です。
先日は紅葉の終わりという風景でしたが、12月下旬になるとすっかり
冬ですね。

干し柿いただきましたよ。
とてもきれいに作っていらして、感心しました。
母が、「こうやれば包丁なんていらないのよ」とくるりとひねってヘタ
から抜いてぱくりと食べていました。
とっても美味しかったです。


本年も大変にお世話になりました。
最後に N とのお別れが来て、弓削さんにも忙しい思いをさせてしまいましたね。
いつも、いつも、感謝しています。
 




15.12.14   Re: 不思議な気持ちです       弓削

K さん、こんにちは。
9日にメールをいただいきましたが、その後如何でしょうか。


> N が逝ってから1週間が経とうとしています。
> とても不思議な気持ちです。

私は「真っ直ぐ歩いているつもりなのに、真っ直ぐ歩けない感じ」と
どこかに書いた記憶があります。不思議な感じですよね。


> 毎日涙に暮れてしまうだろうと思っていたのですが、少し違っていて
> この状態が何なのかわからずにいました。
> 悲しいのはもちろんで、ちょっとしたことで涙が出るのですが、
> それよりもいつも私は N を探しているような気がするのです。
> そして、生前の N を思い出しては「もういないんだなぁ」と確認
> しているような。

そうそう。そこにいて当たり前だったもので、何かしているときに
もう居ないことに気が付いて「はっ」としますよね。


> そして、いないことを確認すると N に触りたくなり、それはできなく
> なってしまったのだと思うのです。
> そして胸が詰まってきます。

私の場合「どうすればいいんだろう」と途方に暮れるような感じでした。


> お骨の前に座り、N の写真に語り掛けます。
> 可愛いねとか、いい子だったねとか、やっぱり美人だわとか話して
> いるとずーっとそうしていたくなります。
> 苦しいけれど、少し気持ち良かったりします。泣きながらのことも
> ありますけど。

生きているときに、話しかけていた意識はなかったのですが、たぶん
何か問いかけるようなことを無意識にしていたのかも、と思ったもの
でした。
それがあって自分の心が回っていて、それがなくなり回らなくなった
ような、そんな感じでした。

(中略)

> でも、まだなくなったことになれていないというか、理解できていない。

理解でどうなるものでもなく、慣れなければ仕方ないのだと思います。


> 今でも仕事が終わると、急いで帰らなければという気持ちになります。
> 買い物はいつなら行けるかしらと自然に考えてしまいます。
> もう家に誰もいなくても、いつ買い物に行っても何の不都合もないのに。

そうですね。
そしてそれに気づいた時の虚しさ。辛いですよね。


> 夜10時近いから、だらだらしていないで台所へ立たなければとか。
> ( N を寝かせるのが10時頃で、痛み止めを飲ませる時間でした)
> お風呂に入るにも、リビングに誰かいる時でないと…とか
>
> 毎日の私の行動は N と常に繋がっていたんですね。

毎日あったことがなくなる。数字で考えれば楽になるはずなのに
虚しかったり、辛かったり。
なくなったらそう感じるものが、本当の幸せなのだと思います。


> 15年も前のことですね。
> 火葬を終えて帰って来た夜に、主人が N を迎えた時のことを話し
> 始めたのですが、全くの記憶違いで私と T とで顔を見合わせてし
> まいました。
> それは後でお知らせしましょう、、、。

三人いるといいですね。女房と話が食い違ってもどちらが正しいか
決着がつかなくて(笑)
その話、楽しみにしています。

迎えるまで、と、見送るまでのこと、書いてくださいね。
よろしくお願いします。


> 忙しくしていたいです。
> 暇になると怖いです。

そうしてください。
お正月に向けて家事に勤しむのもいいと思いますが、きっと N ちゃんの
こと思い出すというか感じてしまいますよね。でも、それでいいと思います。


> N との生活をすべて振り返り、すべてもう一度思い出したいと思っています。
> そんなの無理ですけどね。

私も同じことを考えましたが、どうしても出来ませんでした。何故か自分で
ブレーキをかけてしまう。それをやったら全て終わってしまうような、
そんな気持ちがありました。


> 我が家は大したことなかったです。N が凄かった。
> 私たちを導いてくれていました。今ではそれをとても強く感じます。
> みんな、世話が焼けるなぁって思いながら、色々なタイミングを選び
> 導いていってくれたように思います。

犬は、家族の魂からこぼれる何かで作られる結晶のようなものだと
感じることがあります。
N ちゃんが他の家に行っていたら、同じ N ちゃんではなかったと
思います。


> 12月26日に葬儀式というのがあります。
> 合同の告別式のようなものですかね。
> 少し山を上ったところにあるとてもいいお寺です。
> 先日は紅葉の終わりという風景でしたが、12月下旬になるとすっかり
>り冬ですね。

我が家はそういうことをやらなかったので、なおさら区切りが
つかなったのかも。


> 干し柿いただきましたよ。
> とてもきれいに作っていらして、感心しました。
> 母が、「こうやれば包丁なんていらないのよ」とくるりとひねってヘタ
> から抜いてぱくりと食べていました。
> とっても美味しかったです。

さすがお母様!、たしかにその通りです。
(でも私は皮が好きですが。)
干し柿作りは、渋柿さえ手に入れば簡単です。
K 家は日当たりが良さそうなので、来年はチャレンジしてみてはどうで
しょうか。


クリスマス、年末年始、主婦として頑張ってみては如何でしょうか。
逝ってはしまいましたが、N ちゃんと一緒に祝う気持ちで。
いつも、いつまでも、K さんの心の中に N ちゃんは居続けると思います。



Kさんの言葉です
================
我が家は大したことなかったです。N が凄かった。
私たちを導いてくれていました。今ではそれをとても強く感じます。
================

本文でも書いていますが、N ちゃんが K 家ではない、
別の家に迎えられていたら、全く違う犬になったことでしょう。

N ちゃんは凄かったとおもいます。
そのような N ちゃんにしてあげたのは、K 家です。
そんな K 家になれたのは、N ちゃんが居てくれたから。

人も犬も含めた家族は、一つ屋根の下に暮らしていたとしても、
一緒に暮らしているだけで、分かり合えることはなく、
互いに理解する努力と、理解出来ない部分があっても、
支え合う気持ちが必要なのではないでしょうか。

人間以外の動物で、その感覚を分かち合えるのは、犬だけだとおもいます。

人間(飼い主)が、それに気が付くかどうか。
それが最も大切なことだとおもいます。


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