昭和29年公布・施行の「狂犬病予防法の一部を改正する法律」を読んでいます。
以下の三大臣の署名があります。
厚生大臣 草場隆圓
農林大臣 保利 茂
内閣総理大臣 吉田 茂
原文は以下
狂犬病予防法の一部を改正する法律・御署名原本・昭和二十九年・法律第八〇号
厚生大臣 草場隆圓
この人の人物像(特に動物関係)を探る上でのページはあまり見つかりませんでしたが、国会委員会議事録の中で、ニューヨークに行った時のこととして、現地の児童虐待防止と動物虐待防止の関係を発言したり、「私も実は犬を曾つて飼つておりました。捕獲をされ、而もそれが虐殺をされ、誠に悲痛な思いをいたしたことがあります。」との発言はありました。
(該当ページは以下の「021 草葉隆圓」)
第19回国会 参議院 厚生委員会 第29号 昭和29年4月16日
WikiPedia の 草場隆圓のページによると、仏教系の大学卒業後、欧米に留学し、社会福祉事業に従事、と本文に書いてありますが、画面右側の写真の下には「前職 僧侶」となっています。
愛知県遺友会会長であったことも書かれていますが、社会福祉事業に従事しただけのことはあり、庶民に関わりのある活動、政治をしてきた人の様ですが、ネットで調べる限り、全体像を見えてくる資料は見つかりませんでした。
第3次吉田内閣の時、外務政務次官を務め、サンフランシスコ講和会議にも深くかかわったようです。この辺りのことから吉田茂にとても近い存在であったことが想像できます。
全国善光寺会のサイトの中に名古屋市名東区の善光寺の記事に草葉隆圓の名前が出て来ていました。
https://www.zenkojikai.com/chyubu/c-168.html
以下、そのページから抜粋
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昭和32年(1957)タイ国の古都チェンライ、ワットパクナムに於いて仏起2500年祭が挙行され、吉田茂元総理大臣のもとで厚生大臣を務めた、草葉隆圓が代表となって派遣された際、日本政府の懇願により両国の親善と公好の絆として、仏舎利、仏像が渡来しました。
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狂犬予防法成立(昭和25年)当時の農林大臣 廣川弘禅も僧侶でもあった人だったと思います。
農林大臣 保利 茂
まず Wikipedia の 保利茂のページを見る。充実している(量が多い)。
苦労人であったようだ。
経済的事情で中学校へも進学できなかった。しかし上京し苦労の末、専検(今の大学入学資格検定)に合格し、(経済的な基盤がなかったようで働きながら学べる)夜学部の大学に入学。卒業後は新聞記者(政局取材)を続けるが新聞社の騒動に巻き込まれ勤めていた会社を退社し(第二次世界大戦前に)政局入りすることになった、と書かれている。
戦後、草場隆圓同様、吉田茂に重用される。狂犬病予防法関係の大臣は吉田茂に信頼されている人が就くことが多い様な気がする。
吉田政権退陣後は不遇な時代を過ごすが、その後佐藤栄作政権を支える重要な人物となり、政治家として多忙な日々を送ったようなことが書かれている。
この様な人が個人の生活の中で犬に関わることはないだろうと考え、これ以上調べるのはやめようと思ったのですが、念のため、検索をかけたところ以下の議事録が出てきました。
第198回国会 決算行政監視委員会 第3号(令和元年5月20日(月曜日))
文書内検索で「保利茂」と「犬」と検索してみていただきたい。
先に紹介したWikipediaのページでも誠実な人であることは伝わってきましたが、こちらの議事録では「良識者」として紹介されています。
この議事録中「犬」が出てくるのは、その部分とは無関係。串田(誠一)委員の発言の中に「犬」が出てくる。遺失物法や七週齢か八週齢の問題について質問しています。
法律改正時、マスコミでは有名な動物愛護団体の活動の報告がされますが、国会内ではこのような活動があり、法律が変わってゆくようです。お時間ある方は、串田委員の発言周辺を一読していただけたらと願います。
内閣総理大臣 吉田 茂
すでに何回も登場しています。こちらをご覧ください(たいしたことは書いてありませんが)。
(狂犬病予防法の昭和29年改正はここまで)
この後、これに付随した狂犬病予防法施行令や狂犬病予防法施行規則の改正があります。
もし内容に間違いがあることをお気づきの場合、疑問点がおありの場合等、以下の「こちらから」ご連絡いただければ幸いです。
2025.4.4 草場隆圓について、ニューヨークでのエピソードを追加
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