狂犬病予防法制定以前の狂犬病対策

少しづつ、そして法律の基本的な作法(?)も調べながら昭和25年の狂犬病予防法制定から昭和28年と29年の改正を読んでみました。

今回は、狂犬病予防法制定前の狂犬病対策を改めて調べまとめてみたいとおもいます。
それを行なえば、何故狂犬病予防法を制定したのかの理解が深まるからと考えてのことです。

このようなことを、この区切りに書いておきます。


明治より前

明治以前の日本は(私が子供の頃に「鎖国」と呼んでいた)諸外国とは出来るだけ付き合わない状態でした。その結果、それを積極的に行ってきた欧米各国とはあらゆる学問で後れを取っていました。その当時は狂犬病についての認識はあったものの対策については知識がないに等しく対策の方法も分かりませんでした。

生類憐みの令の時は犬の数が爆発的に増え、人間の近くに犬がいることも珍しくなくなりましたが、それ以外の時は、犬の数も多くないし、現在のペット感覚で犬と付き合っていませんでしたから対策としては「噛まれない」「近寄らない」程度だったようです。噛まれた場合の対処法として「よく洗う」「吸い出す」「焼く」などがあった聞いたことがあります。

その他治療法が書かれたものもあるそうですが、現在の暴露後ワクチンのようなものもなく、(今でもないのですから)発症後に効く治療法もありませんでした。検索すると「生小豆」というキーワードが出てきますが効果があったら今も利用されていることでしょう。

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明治以降の狂犬病対策の法令

明治に入り欧米からあらゆることを吸収していきましたが、狂犬病対策については「すぐに」とはなりませんでした。他の流行り病で狂犬病よりも多くの人が亡くなったり長期間臥せったりする病気が幾つもあったので、優先順位としては低かったのでしょう。

しかし東京は、人間も犬も増え、人間と犬の生活が近づいてきたこともあり、狂犬病を看過できない状態になりました。
東京府は明治6年に「畜犬規則」を作ります。また当時の警察の下部組織的な位置付けの自治体警察制度であった番人制度というものがあり、その地位や職務などを規定した東京番人規制の第三十条が「路上に狂犬あれば之を打殺し戸長に告げ之を取棄る手続きをなすべし」とされています。これは明治6年よりもさらに前になります。

昔の狂犬病対策と聞くと、少なからずの人が「当時は(東京番人規則のように)犬を酷い扱いしていたんでしょ」と思っているようですが、ある意味その通りです。現在とは時代が違うのでそのように感じて当然だと思います。しかし当時はそれ以外の方法をとることが出来なかったのです。

当初の規則には「飼い主がしっかり管理しましょう」的な内容で、手に負えないような場合は(規則中の言葉だと)「撲殺」や「駆除」となっていました。
また治安を守る意味で警察(邏卒、番人)などが人や他の犬を噛み付くような犬を処分する規則などを設けていました。

明治29年に獣疫予防法が制定され、この中に狂犬病対策が書かれています。
獣医学を根拠として(感染拡大の防止や病性鑑定のために感染しているとおもわれれば)必要があれば(これも法律中の言葉として)「撲殺」が書かれています。

この法律は、牛、馬、羊、豚、などの産業動物の防疫のための法律でした。それらの動物が狂犬病の被害をうけることがあったのです。
日本における本格的な法律としての狂犬病対策は、人のためでも犬のためでもなく、産業動物のためのものでした。但し(現在人間の感染させる動物の多くが犬であるから犬に対策をしてもらっているのと同様)犬からの感染拡大対策として、狂犬病発生時の犬の扱いのことが書かれています。
獣疫予防法制定までの経緯については次段にまとめてみます。


獣疫予防法は、大正11年に家畜伝染病予防法になり、その中から昭和25年制定の狂犬病予防法にて犬の狂犬病が独立し、家畜伝染病予防法でも書かれていない動物の狂犬病も狂犬病予防法を準用することになってゆきます。

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明治になってから獣疫予防法が制定されるまで

明治に入り日本の畜産が発展し海外との交流も盛んになったことから海外から入ってくる家畜伝染病が問題になり、獣疫予防法が制定されることになりました。それまでの経緯については、以下の文献が分かり易いです。
家畜伝染病予防法改正の変遷 @ 日本獣医史学会

明治に入り、国として家畜伝染病対策をはじめ、明治29年には獣疫予防法が制定され、大正11年の(旧)家畜伝染病予防法になり、戦後の昭和26年に家畜伝染病予防法(名前は同じ)として作り直され現在に至っています。

獣疫予防法以前は、個別の家畜伝染病流行に対して法令を制定し実施していたようです。始まりは、明治4年(1871年)の予防法リンドルペスト家畜伝染病と書かれています。
リンドルペストでは後に「牛疫」と呼ばれる感染症。この感染症は2011(平成23)年には国連食糧農業機関(FAO)と国際獣疫事務局(WOAH)は遂に撲滅を宣言する(引用元:牛疫 @ 農研機構ことになります。

明治4年当時の日本は太陰暦を使っていました。明治5年の終わりに太陽暦を変えることにし、明治六年の(太陽暦の)新年から国として太陽暦を使うようになります。廃刀令は明治9年。大日本帝国憲法はもっと先の明治22年に発布されます。
このように、まだ国の形もしっかりしていない状況の明治4年から家畜伝染病対策が行われていました。

上記文献には、予防法リンドルペスト家畜伝染病 ~ 疫牛処分仮条例 ~ 獣類伝染病予防規則 と制定され、その後、獣疫予防法が制定されていることが図で示されています。
獣類伝染病予防規則は、牛疫を含む6疾病(狂犬病は入っていません)を対象としているそうです。
(前段にも書きましたが)この獣疫予防法では産業動物を守るために作られたものです。その中に狂犬病が入ったのです。

人間の狂犬病対策である狂犬病予防法が昭和25年であることを考えると、感染症全体の中では人が死亡に至るケースは他の感染症よりも特別多いこともなかったのでしょう。

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人の予防注射

現在でも(世界の中の)狂犬病の脅威がある地域でも、人の予防注射は一般的ではありません。暴露後ワクチン(PEP)で対応することが一般的です。

ここのところ取り上げてきた狂犬病予防法は人の狂犬病のためにある法律ですが、この法律の中に人の予防注射や暴露後ワクチンの定めはありません。

明治20年台後半(1985年)には、日本で最初のパストゥール法による曝露後免疫治療を行った記録があるそうです。

しかし(ここでは狂犬病予防法以前の話をしていますが)狂犬病予防法制定後の話として、こちらのページ(昭和29年改正 資料の中の小冊子二つ)を読んでいただければ分かりますが、第二次世界大戦後でも暴露後ワクチンを行うには18日間かかり、さらに一生涯残る重い後遺症が出ることもあるし、苦しんだ末に亡くなることもありました。

第二次世界大戦後でさえ、そのような状況なので、それ以前は実用的な人用の予防注射も暴露後ワクチンもなかったと考えています。

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犬の予防注射


・ 日本における開発の話

大正初年以来、農林省は獣疫調査所技師に研究をさせ、大正9年に開発に成功する。
それまでの(海外の)家畜の予防接種法は人体に準ずる方法を用いた実験的応用があるだけだった。
研究の総仕上げ的に大正7年(1918年)に神奈川県で、翌年東京で集団接種を行い、その効果が実証され、世界的にも画期的な研究成果とされ「日本法」と呼ばれるようになります。


・庶民への広まり

実験的な集団接種ではなく、飼い主に呼びかけて犬に予防注射をしてもらうだけでは、当時の衛生意識などから効果が出る程度の接種数が得られなかった。
そして大正12年(1923年)に関東大震災となり、翌年大阪で大流行が起こります。

それまで狂犬病の啓発活動を行ってこなかったのかと言えば、そうでもありません。
大正3年には「狂犬病の予防に関する依命通牒」(後述)が国から多くの都道府県に対し発せられています。

大正12年の関東大震災、翌年の大阪での大流行もあり、国は狂犬病予防週間の実施を呼びかけます。
※この時注目すべきは「真の動物愛護の精神を涵養すること」を忘れずに呼びかけが行われます。
この狂犬病予防週間は、大正14年度から行われ、予想以上の効果を収めることとなる。
(余談になりますが、着物のコスプレで有名なバーネット大佐夫人が再来日し、日本人道会の新渡戸万里子(メアリー・パターソン・エルキントン)達と共に動物愛護運動を展開しはじめたのもこの頃です。)

大正の終わりから急激に狂犬病の発生件数が減り、昭和5~8年くらいまでは数十、その後は10前後または10未満となります(日本が武力により大陸に進出し始めたのが昭和6年の柳条湖事件と考え、戦争の影響からデータが集まっていなかったのではないかという見方もあるし、犬の供出の影響とみるひともいます)。
(また余談になりますが、当時行政の文章では人間の狂犬病は「恐水病」と表示することも多く「狂犬病の発生件数」とは「犬の」ことを指していました。)

その後、敗戦直前の昭和19年に746を記録しますが、翌年の終戦の年から一時的に減ります。
しかし昭和23年から再び増え始め、狂犬病予防法制定の昭和25年(1950年)に876というピークを迎えます。

大正の終わりから始まった狂犬病予防週間がいつまでどれくらいの規模で続いたか分かりませんが、効果があったことは確かだとおもいます。
それでも狂犬病は撲滅できず、昭和における狂犬病最大件数(879)の年である昭和25年に狂犬病予防法が制定されます。

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狂犬病の予防に関する依命通牒 大正三年十二月八日
※リンク先のページは以下になります、
[現代語訳] 日本帝国家畜伝染病予防史(大正・昭和 第一篇) @ みやざき・市民オンブズマン


今まで何度か書いてきましたが、明治のはじめの頃から狂犬病対策として、飼い主に対して「繋ぎましょう」「他の犬や人を噛まないように管理しましょう」と「飼い主のモラル」としてお願いしていました。その後、明治29年には獣疫予防法が制定され、家畜の防疫の目的から「感染拡大の防止」としてお願いすることになります。

それでも明るい状況の改善がみられなかったからか、タイトルの文書が発せられます。
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「通牒」とは今の「通達」のこと、「通達」は上級行政機関が下級行政機関または所属の職員に指示をだす場合などに出す文書。
今の「依命通達」は、行政官庁が補助機関に命令して発せられる通達。
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※ どこが出した ※
この通牒は、農商務省と内務省の関係局長の連名で発せられています。
農商務省は今の農林水産省と経済産業省を併せたような省庁、内務省は今の総務省のような省庁ですが、警察を所管しているという意味では国家公安委員会(上級組織は内閣府)になります。
当時の狂犬病業務は、保健所ではなく警察が行っていました。家畜防疫担当の農商務省と警察を担当する内務省の下級組織の局長名で発せられている通牒です。


※ どこ宛 ※
北海道長官(当時北海道は知事ではなく長官)、警視総督(東京都)、幾つかの道府県知事宛。全てではなく、狂犬病の発生がある(今でいうところの)都道府県宛のようです。
同日、発生していない検知知事宛てに、この文書を添付し「貴県においても相当の警戒をされるよう、このことについて通牒致します。」としています。


※ やっと内容(私の理解での要約になります) ※

そちらでも狂犬病対策を相当講じられているとおもいますが、蔓延の兆しもあり見逃すことができないので、一層力を入れてください。
その参考になるよう、今の事項を伝えますので、有効な方法を実行してください。

一、衛生講和を行い、印刷物を配布し、狂犬病に対する注意喚起する
二、飼い犬とそうでない犬(浮浪犬)との区別を明確にできる方法を施す
三、狂犬病発生中は、飼い犬を繋ぎとめるか、何らかの方法で他の犬に接近させないようにする
四、飼い犬でない犬(浮浪犬)は、一掃を目的として捕獲し、処置
五、狂犬病の疑いがある犬を繋いだり隔離した場合、十日間時々検診
六、狂犬病発生状況を速やかに流行の系統等を調査し対応
七、狂犬病に罹った犬、その疑いのある犬に噛まれた者は警察署で指示を受ける
八、死んだ犬は、なるべく検査を行い相当の措置を講じる


※ 私の感想 ※

今まで読んできた昭和25年制定の狂犬病予防法の内容に似ている。犬の登録(四条)、登録されていない犬の抑留(六条)、狂犬病の犬の届出義務(八条)・隔離義務(九条)・死体の引渡(十二条)・病性鑑定の措置(第十四条)など。
この通牒が出されたのが大正3年(1914年)、獣疫予防法制定が明治29年(1896年)なので、防疫の知識・経験から出されたものであり、基本は同じなのでしょう。
しかし国としては細かいことまでは指示できず項目を提示するまでになったいたようです。

このページの興味深いところは、この通牒の後の部分。大正6年以後の流行、その後の大正12年(関東大震災の年)と13年の大流行のことが書かれ、文末に狂犬病ワクチン(文中では「予防液」)のことが書かれていることです。

それに続いて、大正12年と13年に出された通牒も載っています。
その中で対策に力を入れる理由として「人畜並びに保安上憂慮する事態となっている」だけではなく「欧米文明各国と肩を並べる国家の対面上からも誠に遺憾とするところ」と書かれています。

敗戦後に狂犬病予防法が制定されますが、GHQの強い後押しがあったことを読んだことがあります。そこに書かれた内容も狂犬病予防法に強く影響を与えています。その内容については、
一つだけ日本で行われてきた施策が優れていたのではないかと私が考えているものがあります。それは町中の犬への対応を警察から保健所に変えたこと。戦前までのように警察が行った方がきめ細かい対応が出来ていたという国会答弁もあります。

狂犬病予防法を読んでいると何故このような考えになったのだろうとおもうこともありましたが、歴史の積み重ねで昭和25年の形に至ったのだなと理解できました。

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(参考)
なぜ狂犬病予防法制定後に清浄化に成功したのか日本における狂犬病制圧の歴史
GHQからのメモランダム 日本における狂犬病制圧の歴史
動物用ワクチンの変遷と感染症の制圧・排除・根絶 @ 日本獣医史学会
日本の狂犬病の歴史 大阪府獣医師会
クリックしても該当ページが表示されない場合は、一度大阪府獣医師会のページ(サイトトップ)を表示させた後に、改めてクリックしてみたください。
わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 4 人と動物の共通感染症研究会     ※リンクを希望される場合は、、、の記述有り
わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史 5 人と動物の共通感染症研究会     ※リンクを希望される場合は、、、の記述有り
前項同様、クリックしても該当ページが表示されない場合は、一度人と動物の共通感染症研究会の目次ページ(サイトトップ)を表示させた後に、改めてクリックしてみたください。
事業概要 令和5年版(令和4年度実績)第一章 総説東京都動物愛護相談センター 事業概要 令和5年版(令和4年度実績)
東京府畜犬規則国立公文書館デジタルアーカイブ
記録材料・警保寮職制・東京番人規則・違式詿違条例 @ 国立公文書館デジタルアーカイブ
[現代語訳] 日本帝国家畜伝染病予防史(大正・昭和 第一篇) @ みやざき・市民オンブズマン 
明治以後の犬に関わる法令の現代語訳 @  みやざき・市民オンブズマン
狂犬病予防法関連 明治以後の犬に関わる法令の現代語訳 @ みやざき・市民オンブズマン
畜犬取締規則・明治42年5月8日警視廳令第16号帝國ノ犬達
フランセス・バーネット @ 帝國ノ犬達
日中戦争 @ Wikipedia
第19回国会 参議院 厚生委員会 第20号 昭和29年3月29日 @ 国立国会図書館






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2024.11.30 2024.11.30
2024.11.30 公開
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