3月18日
今朝も「弓削さん、ご飯ですよ〜」で目が覚める。ご飯を食べながら、食後のコーヒーを飲みながら、久野さんに対する気持ちを話し合った。OS君は(PN君も同じだと思うけど)久野さんに対する不信は簡単に消えることはないようだ。今まで言いたかったけど機会がなくて言い出せなかったことが昨日言えて良かったと言っていた。その意味でも「また来て下さい。」と言われたときは「頼られて光栄だ。」と思う気持ちと「このチームはもうダメかな。」という気持ちが入り乱れた。
その後、久野さんのトラックでOS君と3人で空港まで行った。PN君は見送りに来なかった。久野さんもOS君も僕も昨日のことは誰も話しに出さなかった。とても楽しげな雰囲気でのお別れだった。
那覇空港の離着陸の関係で、飛行機が遅れたり、乗り継ぎが忙しかったりした。3月17日の夜の話からここまでは、那覇−羽田の飛行機の中で書いている。色々書いたら「あと15分で着陸します。」の放送があった。
アナウンスをしているスチュワーデスの人は、僕の横3mくらいの所に座っていた。彼女はメモを見ながら、日本語、英語のアナウンスをしていた。何ともなしに彼女を見ていた僕の視線と、アナウンスが終わった安堵の彼女の視線が交わった。彼女はかすかに微笑んだ。言葉は交わさなかったが、心からエールを送った。きっと彼女も感じてくれたと思う。
もうすぐ東京の人に戻る。東京の時間に戻る。この2ヶ月がおとぎばなしのようになる。
与那国行について、前向きに考えよう。一度は島の中で生きていけないと思ったが、もう一度考え直そう。
平成6年3月18日 16:53 機中にて

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