平成5年、冬。東京の寒さも本格的になり始めたある日。外出先で美奈子(妻)は私の目の前に一冊に雑誌を突き出した。雑誌の左下隅に、こんな記事(と言うよりコラム)が載っていた。「これから、与那国馬を中心としたふれあい広場を造ります。手伝ってくれる人を募集します。」

この年の春から与那国馬を使ったTVCMがながれ、それ以降、新聞や雑誌などで与那国馬を取り上げたものをいくつか見ていた。その度に美奈子は「こんな馬と生活しながら生きていけたらいいね。」とよく言っていたものだ。ちなみに与那国馬とは日本最西端の島、与那国島の馬である。
私達夫婦は共働きで子供はいない。美奈子はしきりに仕事を辞めたいと言っていた。そして私も、その年の秋、健康上の理由で勤めていた会社を辞めた。辞める直前に2週間ほど手術のため入院し、「これからどんな仕事をしようか、どんな生活を送ろうか」と二人で話し合っていた。もちろん与那国島へ行くことも話に出てくるが、その島には知り合いがいる訳でもなく、その島へ行ったことのある人さえ知らない。何の資料も情報も無いに等しかった。

そんな時にこの雑誌を見たのである。美奈子にしてみれば「天の声」だ。私達が求めていた仕事が目の前にあるではないか。とりあえず私が先方へ電話をしてみると、「これで生活が出来る(生計が維持できる)ものではありません。生活のためには別に仕事を捜さなくてはいけませんが、その辺は何とかなるでしょう。とりあえず、一度こちらへ来てみて下さい。」と言うことだ。与那国馬を扱う仕事をしてそれだけで生活できたら、と考えていた私達の思惑どうりではないようだが、他に考えがある訳ではないので、美奈子の年末年始の休みを利用して9日間、与那国島へ行くことにした。