□ 重い話
三春シェルターのボランティアは、10時から15時くらいだった。時間に余裕があるので、福島県内ではあるけれど離れたところに宿をとった。
その結果、深刻な被害を受けた地域とそうでない地域の話を聞くことになった。そうでないというのは物理的にであって、別の意味で深刻な被害を受けていたケースもあった。

具体的なことは書きません。
「それは大変でしたね」と安易に答えてしまい、後にその背景を知って、自分の浅はかさを猛省したことが何度もあった。話してくださったことの重さ、有難さを改めて知ることになった。
今は理解したつもりでも、まだまだ分かっていないことが多々ありそうなので、書きません。


問題の根本的原因は震災であり原発災害ですが、そこから立ち上がるスピードにブレーキをかけてしまうのが、「意識の個別化」が進んだことなのではないでしょうか。
昔のように近所付き合いが盛んで、「普通」とか「常識」が共有できた時代ではなくなりました。一億総中流時代は遠い昔となりました。
「みんなが一緒に立ち上がろう!」としても、調整が難しいようです。


私は「公の場にペットを連れて入れるなんて非常識」という常識を痛感している人間です。福島で聞いたのは人間の話がほとんどですが、こんなことを考えてしまいます。

今、東京が壊滅的な被害を受けるような大震災や大火災が起こった場合、ペットを連れた人間はどのような扱いを受けるのだろうか。その時「ペットは家族」と言える雰囲気なのだろうか。

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