Mさん と Jちゃん  25

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・とりあえず、お休み

最近更新がなくなりましたが、とりあえず当分お休みします。最後にここまで読んでくださった方々のために、これから一般的になってゆくであろう犬のしつけについて書いておきます。この「MさんとJちゃん」には直接関係ありませんが、ここのやり取りはこれから書く科学に基づき書かれています。この理論は3年後くらいに日本に上陸するでしょう。つまり、ここまで読んでくださった方々に、この連載の種明かしをちょっとだけし、早過ぎるしつけ理論をお教えしようというわけです。

難しいことを考えながら犬と付き合いたくない、という人は読まないほうが良いでしょう。もしかしたら読む必要がないかもしれません。ここから先を読んだ人は、今まで難しいことを書いていた本が馬鹿馬鹿しくなるかもしれません。逆に感じるかも知れません。とにかく、とっても当たり前のことが書いてあります。
つまり私の結論は「当たり前のことを忘れていませんか?」ということなのです。


その科学とは?

耳にしたことがあるかも知れませんが「脳科学」といいます。脳科学というとよく医学的なことが書かれていますが、もともとそういうものではなかったようです。最終的な結論をだすにあたり医学的な解釈をするものであって、脳科学の有用性はもっと日常的なところにあると私は考えています。

ドーパミンとかセロトニンなどの脳内物質の名前を聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、一飼い主はそれらを直接的にコントロールすること(例えば、薬物などでコントロールすること)はできません。獣医さんにお願いして処方してもらうことは出来ますが、あなたが直接コントロールすることは不可能と考えて良いでしょう。
ちなみにコントロールの必要があるような状態とは、人が精神科医などにお世話になるような状態と考えるのが当然です。その治療は一般の人間が行うべきではありません。犬においても一飼い主では対処しきれない状態だと思ってよいでしょう 。



それでは一般の飼い主とどう関係あるのか? その前に元々どういう学問なのか、それを考えてみましょう。

人間が動物に対して行った各種の実験で、特定の行動と脳内の状態遷移に関連性があることが分かってきて、脳内物質の研究が進みました。それと同時に、特定の行動を起こさせる外的環境の変化をどう分析するか、ということの重要性に気がついていきました。
初期の頃はこれについて充分な判断をしかねたからか、人間への応用はこんなものがありました。
           「特定のデザインは特定の感情を起こさせる」

簡単に言えば、上から下まで真っ赤な服を着ている人と、緑の服を着ている人を見たら、それが初めて見る瓜二つの双子であろうと、全く同じに作ったマネキンであろうと、見た人間は感情的に同じようにとらえることは難しい、ということです。
色以外にも、位置関係や形状などについても初期の頃から、特定の無意識の判断がされることは分かっていました。


ニューロンの反応を充分に測定できるようになってから、例えばサルが「人の顔」というものを何を判断基準に「人の顔」と判断するのかを研究したら、はやり総合的な情報だったわけです。単純に形が丸いとか、色が肌色とか、目が2つついているとかの、個々の情報だけではなく、それら全ての情報を1つとして捉えていることが分かったのです。
言われてみれば当然のことですが、数値で示されると納得させられてしまうものです。


ある程度、動物実験で脳内の動きが分かってくると人間の脳について、色々と研究が進みます。反応を確かめる対象も単純な絵などだけでなく、色々な刺激について研究が進み、さらに「外部の環境変化」全般について研究がされています。
つまり、今まで心理学、社会学、哲学などの範疇であった部分を「脳」の反応を基準に吟味する、という作業が始まったわけです。
個体としての「外部の環境変化」を考えると同時に、集団としての「外部の環境変化」、それに対し2次元的に、「外部の環境変化」の経験と経験により得た、自分により有利な対応(すなわち学習)がどれくらい、個人として、集団として、積み重ねてあるか、こういうことを考えるのも「脳科学」の範疇だと私は考えています。


日本では国の研究機関が研究を進めていると、深夜の教育テレビで見たことがあります。この番組で話されていたことは脳科学の概論ですが、そこでこんな話がありました。

人は何故生きるのか、行動を起こすのか。それは「勝つ、勝とう、」とする意思からです。「勝つ」ことが目的ですから、それを確信できる状況になると、その行動への原動力が弱まることがあります。その結果、大どんでん返しのようなことが起こるわけです。

これが科学?、と思いますよね。こんな話もありました。

陸上競技や競泳の記録で、切りのいい数字、例えば「10秒」「1分」などの記録が、何年間も破られないことがある。しかし、一人の選手がこれを破ると、その数字を次々に破る選手が出てくる。

今までは単純に「心理的なもの」と片付けていました。その言葉には「それ以上、追求しても意味はない」という感覚が含まれていたといっても過言ではないでしょう。
しかし脳科学は、そこを追及しようというのです。不可能と思われた記録さえ塗り替えるくらいの力の原動力が何なのか追及しようとしています。
その結果見つけた言葉は「やる気」とか「欲求の達成」、そして「勝とうという心」などという、まるで時代錯誤にも感じる言葉が出てくるのです。
最先端の科学が出した答えは、古の昔から言われていた言葉だったわけです。それは人間が人間を解明しようとしたとき、それを行うことの無意味さを諭すためのメビウスの輪のようにも思えます。



・しつけへの応用

分かってきたことは、脳は特定の形状に対し特定の感情をもつようにプログラムされ易い、ということ。これは学習能力の高さと言い換えることも出来ます。

特定の合図に対し特定の行動をとるのが、犬に対するコマンドなわけですが、その前にワンクッション置いてみましょう。「やる気」というワンクッションです。
特定の合図(形状)を与えて「やる気」という感情を持たせるようにし、その状態でトレーニングをすれば、トレーニングが効率的に行えるわけです。


「やる気」を起こさせる「特定の形状」とは何でしょうか? それは自分に有利にはたらく近い未来が約束される形状です。そんな嬉しい未来の予言のような形状です。そして、その脳の反応を犬に対して人間は求め続けてきました。(家庭犬に限る。)
それはいつでも犬に与えられるものです。私がこの連載で(Mさんへのメールで)ことある毎に書きつづけたことです。もう分かりましたね。


それだけを与えていればいいのでしょうか。もちろん答えは「No」です。
感情にはバランスが必要です。いつも気分良くいたいというのは無理があります。そのような状態を安定的に与えつづけると、いつかは犬のほうから、それを拒否するような行動にでます。多くの場合は、悪戯であったり暴力的な行為であったりします。


今回はここまでにしておきます。(次回の予定はありません。)


私は犬のトレーナーでもインストラクターでもありませんし、何かしらの学者でもありません。以上は、そんな男の戯言だと思って読んでください。
専門家の方から、ご指導・ご指摘は喜んでお受けします。そして多くの方のために、ここに掲載したいと思います。




前回は、
   次回に忘れなければ、
   「名前」と「教えること」の補足をしたいと思います。

と、書いて終わりましたが、それは今回書きませんでした。
何を書こうと思ったのか、さっぱり忘れてしまいました。

今回書いたことに関連することは、
「名前」と一緒に「やる気」を起こさせる「特定の形状」を
与えことが、トレーニングに、日常生活にとても有益に
なってくるということくらいでしょうか。

蛇足になりますが、「教えることは、気づかせること」ですから
「やる気」があるとないとでは「教えること」の効率は大違いに
なります。


なんだか尻切れトンボですが、この連載は
ここで終了させていただきます

00.6.29



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