山県(縣)勝見
昭和28年、狂犬病予防法の一部が「地方自治法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法令の整理に関する法律」により改正された時の厚生大臣




(江戸時代から明治)
日本は、19世紀前半までは他国との関係を制限していました。しかし黒船が来た頃から、海外との関りを開き始め、明治維新で政治も大きく変化します。
大航海時代(ヨーロッパの人たちがほぼ世界全体に到達した時代)の終わりは17世紀中頃、日本が外圧により開国~明治維新となったのは19世紀の後半になってから。日本はそれだけ世界から遅れていました。
明治に入り体制を変えましたが、江戸時代に力をもっていた武士がそのまま力を持っていたし、一部の商人(事業家)たちもそうでした。


(明治から敗戦まで)
この時代は日本も欧米に倣ってか海外に進出をしますが、第二次世界大戦で敗戦し、再び大きな変革を余儀なくされます。
その間の政治は(先に書いたように)、元武士や豪商の家系だったりすることも多かったようです。


(敗戦)
日本は敗戦し占領下におかれ、今までの政治を占領軍んいより一新されます。敗戦前まで力を持っていた人たち(主にに政治家と軍人)の多くは失脚します。
新たな政治運営には敗戦前には政治に関わらなかった人たちが関わるようになります。


山県勝見もそのような人の一人ではないかとおもっています。
以下、彼の生涯及び略歴がまとまったページを紹介します。

Wikipedia の山県勝見のページはこちら
山縣勝見の略歴 @ 一般財団法人 山縣記念財団
 



事業家

上記 Wikipediaのページを読んでいただければ分かる通り、幾つもの事業を立て直したり、業界を盛り上げたりした功績は大きい。政治家の期間は短い。


実家は酒造業だったが、その本家は清酒「白鹿」で知られているとか。
この辰馬一族の関係で、火災保険会社に入社し、そこからまた辰馬一族関係で、東京新川の酒問屋(山縣家)の後継者に迎えられることになる。
人生全体を見ると、保険業界と海運業界における功績が大きい。

政治家の世界に足を踏み入れたのも、戦後の海運問題の多くが政治問題であったことから。

戦後、世界は敗戦国日本の海運活動を制限することを検討していましたが、(狂犬病予防法成立の翌年、昭和26年)サンフランシスコ平和条約の締結までに、日本の海運業界の再建を見守る方向性をつけることが出来たことも大きな功績です。




残念なことに

以上のように、海運・保険業界のことが多々出てきますが、動物関係は一切見つかりませんでした。
今回取り上げた改正は、自主的なものではなく法体系の整理によるものであり、大臣の影響はなかったと考えている。

当時の保険業界、海運業界どちらも海外の業界について学ぶべきことが多く、渡航したことも多かったとおもわれる。
そのような人にとって、動物に関わる法律が一定レベル以上のものであべきだと考えてくださっていたと信じたいものです。




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2024.7.122024.7.12
2024.7.12 公開
#狂犬病予防法 #改正 #1953 #昭和28年 #地方自治法