2月23日
もちろん今日も休み。久野さんの手伝い。動物の世話が主である。
それ以外の仕事として午前中は、動物の世話と畑の草むしりを少々やった。草むしりはニンニク畑の草むしりだ。やり方はマガリガマと言うものを使って、ニンニクを避けて雑草を刈るのだが、なかなかうまく行かない。手本を見せてくれる久野さんの三分の一程度しか進まない。これを30分程度やったが、ほとんど進まなかった。
午後も動物の世話が主だが、それ以外に草取りをした。稲刈り用の鎌で雑草の根本の土をザクザクつついて雑草を抜いていく。一時半から四時半ぐらいまでやった。腰が痛くなった。
この後、一人で「ふれあい広場」の犬達に餌をあげに行った。餌をあげて広場内を散歩さして、ヤギのロープが絡まっていたので直してあげた。一人でこんな事をやっていてふと思った。この仕事を毎日一人でやっていたら気が滅入ってきそうだ。生活の糧を持ち、多くの動物の世話をするのは大変なことだろう。動物の世話自体を仕事としたら気は滅入らないだろうか。(あまり前向きな考えが出てこないのが哀しい。)
夜、祖納の浜(ナンタ浜)でキビ狩り人(援農隊等、内地からの手伝いの人)達が集まり、キャンプファイヤーをする事になった。立松和平の本で「最もきつい仕事」と紹介されたのを読んで来ている人が多いためか、ハイパワーな若者(そんな域を越えて、クレージーと言葉が相応しい若者も何人かいた。)が多い。酒が入ってくるとみんな危なくなってくる。僕は12時前に帰ったが、夜中は完全に危ない宴会だったようだ。
まだ早いうちにイヨマンテのおじさんのイヨマンテの歌を聴くことが出来た。なかなか朗々と迫力ある歌い方だが何を言っているのか分からない。時々、Hな言葉が聞き取れる程度だった。
このおじさんは年に何カ月かこの島でテントを張って、毎日酒を飲んでいる年金生活者だ。最近は中国へも行って事業家もどきのことをしていると、以前ユキさんちで会った時に本人が言っていたのを覚えている。
僕はほとんどPN君と話していたが彼に「とにかく動かなあかんと思う」と何度も説教された。その通りだと思う。しかし与那国移住のことに関して言えば、この島には魅力を感じない。与那国馬には魅力を感じているが与那国島には魅力を感じないのだ。(今日も前向きには考えられない。自分が腐りかけのなま物みたいに感じてしまう。)

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